山内宏泰 公式サイト

ライター。アート、写真、文学、教育、伝記など。 著書に「上野に行って2時間で学びなおす…

山内宏泰 公式サイト

ライター。アート、写真、文学、教育、伝記など。 著書に「上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史」など。 好物はマドレーヌ、おにまんじゅう。 【Twitter】@reading_photo   info@yamauchihiroyasu.jp

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  • 570本

文春オンライン  鈴木おさむSMAP論・中居正広編

グループのピンチに中居正広さんが繰り出した、「これぞまさにリーダーのふるまい」とは……? 鈴木おさむさんによる「SMAP」論、今回は中居正広編。 文春オンラインで! 前後編ありでたっぷりと。 #SMAP #鈴木おさむ #中居正広 #文春オンライン 「肝心なときに、リーダーが何やってんだよ」SMAPメンバーが現行犯逮捕され…そのとき中居正広がとった“意外な行動”#1 https://bunshun.jp/articles/-/73685?utm_source=twi

【掲載中】宇宙兄弟公式サイト 「宇宙兄弟 ペットボトルロケット大会&夏祭り」イベントレポート

「宇宙兄弟 ペットボトルロケット大会&夏祭り」 のイベントレポートがアップ。 ペットボトルロケットおもしろい。見てると飛ばしてみたくなります。10月には埼玉で同イベントがもいちど開催です。 #宇宙兄弟 #ペットボトルロケット

【掲載中】文春オンライン アートジャーナル  静嘉堂@丸の内  特別展「眼福 ―― 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」

視線が定まると自然に気持ちも鎮まる。 信長秀吉家康も愛でた大名物の茶入は、もちろん焦点を定めるに足る逸品。 静嘉堂@丸の内 の特別展「眼福 ―― 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」のこと、文春オンラインで。 #静嘉堂 #茶道具 #大名物 https://bunshun.jp/articles/-/73583?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=socialLink #文春オンライン

【掲載中】文春オンライン・アートジャーナル 東京都現代美術館「現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」展

「日本の現在のアートシーンを丸ごとパッケージするようにコレクションする使命感が、少しずつ芽生えていきましたね」 と高橋龍太郎さん。 東京都現代美術館での「現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」展のこと、高橋さんご本人のコレクター魂の変遷も含めて、文春オンラインでどうぞぜひ! #日本現代美術私観 #高橋龍太郎 #アート 日本現代美術を丸ごと体感できる大規模展覧会…作品を提供する「高橋龍太郎コレクション」とは何か アート・ジャーナル #文春オンライン

月夜千冊

あと何冊読めるだろう。 ふとそう思いました。 だから、 本を読もう。 もっと本を読もう。

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第三十三夜 「法学を学ぶのはなぜ?」 森田果

法ルールの基本的な機能は、インセンティヴの設定を通じて人々の意思決定・行動をコントロールし、社会を一定の方向へ導くことである。  多くの大学には法学部が当たり前にあって、そこへ通うと「つぶしがきく」などと言われる。それはどういう意味なのか。ふつうに考えると就職に有利ということなのだろうけど、ほんとうはもっと広いことを指していそう。法学を知ることは、最も汎用性の高い思考ツールを得ることであり、それが法学を学ぶ意味や意義である。  そのあたりを、改めて考えることのできる一冊がこ

第三十二夜 『青年時代』 トルストイ  月夜千冊

 トルストイの自伝的小説で、主人公は19世紀のロシアで大学生の身分にある。  食うに困らぬ程度の恵まれた境遇で青年時代を送る者ならたいてい、自己を養い完成させることに強く関心が向くのであって、そうすると決まって自意識や自信が過剰になってしまうもの。主人公もまたよくある落とし穴にハマっている。これこそ「青年の典型」という感じ。  思えばトルストイはたくさんの作品で多くの「典型」を生み出した。揺れる心を抱えた妻の典型、戦争の現場の典型、ロシア民衆の典型……。ここでも青年の一典型を

第三十一夜 『神様の友達の友達の友達はぼく』最果タヒ 〜月夜千冊〜

 最果タヒはほんとうになんでも書ける。ジャンルを無化する。この本に載っているのは便宜上エッセイと呼ばれることが多いのかもしれないけれど、詩でもあり小説でもあるだろうとおもう。総称していつも「ふみ」を書いてるのだと決めつけたい。  または、最果タヒの書くものはいつもただの「運動」だという気もする。何を書こうとしているかはともかく、そこに「流れ」を生じさせているというか。  流れを記述しようと心を砕いた書き手が、そういえば百年あまり前にもいた。  ヴァージニア・ウルフ。  彼

「なつのひかり」 江國香織

 江國香織の書くものは、いつも欲望のかたまりとしてある。  自分の欲望で、作品のすべてを埋め尽くそうとしている。  それはどんな欲望か。自分の「好き」で世界を覆いつくしたいという願いだ。 「私」は20歳で、バイトを掛け持ちして暮らしている。双子のような兄がいて、彼には妻と娘がいる。おまけに50代の愛人までいる。 「私」のもとに「やどかりを知らないか」と隣人の男の子が訪ねてきて、そこからちょっと奇妙な夏の日々が展開していく。やどかりを探したり探さなかったりしているうちに、気

文学のことごと

文学のすべてを、ここに集めるのだ。

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「文学ワイン会 本の音夜話」 シーズン2 vol.1

平野啓一郎さんご登場の「文学ワイン会 本の音夜話」は昨日でございました お運びいただきましたみなさまありがとうございます 次回は秋にやりますよ いまからたのしみ #文学ワイン会 #本の音夜話 #文学 #ワイン #平野啓一郎 #本心 #エノテカ

吉本隆明 「彫刻のわからなさ」 を読む  〜まったくあたらしく世界を立ち上げることの、すばらしさとむずかしさについて

 ピカソらによるキュビズムは絵画史上の大冒険だったというのが大方の世評、というか史実になっているけれど、じつはちょっと違うと思う。  キュビズムは絵画ではないからだ。  ではキュビズムは何だというのか? あれは彫刻だ。 「彫刻とは、具体的な素材に則した視覚的表現ではなく、想像的な表現ということになる。視覚は一方向からしか物事をとらえられないが、想像力は多面的で綜合的な代りに、細部の再現を無視するものだからだ」  と、吉本隆明は短い文章「彫刻のわからなさ」で言う。  人はものを

『ラオコオン 絵画と文学との限界について』 を読む  絵画や彫刻や文学はそれぞれ、瞬間をどう表現するか

 ラオコーン像は紀元前に造られた彫像で、1506年にローマで発掘されたもの。その存在自体は、森羅万象に関心を抱き「博物誌」を著したローマの学者プリニウスがこの像についての記述を残していることから広く知られ、発見が待望されていた。  プリニウスいわく、この像こそあらゆる絵画・彫刻作品のなかで最も好まれているものであったとのこと。発掘が成るとセンセーションを巻き起こし、さっそく像を目にしたミケランジェロは、「芸術の奇蹟」と評して感嘆したとか。  そんなラオコーン像を題材に、絵画

夏目漱石『夢十夜』の「第六夜」から、彫刻のことを考える

 夏目漱石の書くものはいつだって、出だしが鮮やかに過ぎる。  夏目漱石『夢十夜』の「第六夜」もそうで、 「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行って見ると、」  と書き始めて、有無を言わさず鎌倉時代に亡くなっているはずの運慶を、一文にして蘇らせてしまう。  漱石の筆によると、運慶は山門の前で、明治時代の男たちに囲まれながら、一心不乱に像を刻み続けていたという。  様子を見ていると、ずいぶん躊躇なく鑿と槌をふるっている。そうして、 「厚い木屑が槌の声

「創作論」と「編集論」

創作と編集、その知見をできるだけ集め、まとめ、体系立てるのです。

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創作論16 物語とは関係を書くものだ

記憶の中から紡ぐ創作論の15回目。 物語、もしくは小説は何を表現しようとするものかを考える。 ひとことでいえば、個人が他者や世界と取り結ぶ「関係」を書いているんだろう。 関係を書くことを最高度に高めた例は、 夏目漱石『明暗』だ。 津田の足は次第に吉川の家を遠ざかった。けれども彼の頭は彼の足程早く今まで居た応接間を離れるわけには行かなかった。彼は比較的人通りの少ない宵闇の町を歩きながら、やはり明るい室内の光景をちらちら見た。 「明暗」は、情景描写がすくないのが特徴。あっ

創作論15 言葉で世界を立ち上げること

記憶の中から紡ぐ創作論の14回目。 小説なら文章だけで、マンガは絵と言葉を用いて、世界を立ち上がらせる。 徹底的にこだわり考え抜いてこそ、イメージをつくることができる。 そのみごとな例として、大江健三郎『万延元年のフットボール』をみてみる。 冒頭からして、きらびやかな比喩表現で圧倒される。 「内臓を燃えあがらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に躰の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持で望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。」

創作論14 読者とともに書くとは

記憶の中から紡ぐ創作論の13回目。 小説や漫画では、読者と登場人物が結託して、知見を共有する手法がある。これを見てみる。 夏目漱石『それから』より例をとると、 これを哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であると云う真理に帰着する。「私はそう考えた」と代助が云った。 地の文で難しげな理論が展開されているのを受けて、主人公の代助が「そう考えた」と言うのだ。まるで代助が、読者とともに地の文を読み進めていたかのように。 内田百閒『白子』から

書くことと読むことの技術 についての本

「文章予測」 石黒圭  角川ソフィア文庫 人はつねに予測を働かせながら文章を読んでいる。 読んでおもしろい文章とは、1行ごと1文ごとに、予測が盛んに湧き起こる文章だ。 「それでそれで?」「だれのこと?」「そんな……どうなっちゃうの?」などなど、この先に何が待っているのか、想像をたくましくしてしまうような文章がいい。 予測には2種類ある。 まず「深める予測」。いつ、どこで、誰が、何を、なぜ……といった情報のうち、何らかの欠落があって、それが気になる。 たとえば村上春樹『世界

アートのことごと

アートにまつわること、なんでもここに。

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「この一枚を観に」 テート・モダン ジャコメッティ『ディエゴの胸像』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう? 同じように、たったこの一点を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。 今回はロンドン、テート・モダンへ。ジャコメッティ『ディエゴの胸像』を観に。 ロンドンの発電所が美術館に かつてロンドンの「テート」といえば、現在のテート・ブリテンのことを指しました。テムズ河畔で1897年以来の歴史を刻み、テイトの名を冠する唯一のギャラリーだったから当然です。 ところが年を追う

「この一枚を観に」 テート・ブリテン ウィリアム・ターナー『ノラム城、日の出』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう? 同じように、たったこの一枚を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。 今回は、テート・ブリテンへ。ウィリアム・ターナー『ノラム城、日の出』を観に。 国民的画家の作品、ここに眠る 英国絵画の精髄が、全館にわたってぎっしり詰まっている。それがテイト・ブリテンです。となると、どうしても外せない画家がひとりいます。英国が世界に誇る絵画の革新者。そう、ジョゼフ・マロード・

「この一枚を観に」 テイト・ブリテン ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう? 同じように、たったこの一枚を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。 今回はロンドンのテイト・ブリテンへ、ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』を観に。 テムズ沿いにある 英国絵画の殿堂 ロンドンではテムズ川沿いを進みさえすれば、名所が続々と現れます。下流から順にたどればタワーブリッジ、大観覧車のロンドン・アイ、ビッグベンを擁する国会議事堂。そしてその先に

「この一枚を観に」 ロンドン・ナショナルギャラリー レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう? 同じように、たったこの一枚を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。 今回は、ロンドン・ナショナルギャラリーのレオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』を観に。  ナショナルギャラリーは、絵画の専門館。13世紀から20世紀初頭までという長い期間のヨーロッパ絵画史を、実物によって余すことなくたどれるようにできています。  ここに、どうしても欠かすこと