山内宏泰 公式サイト

ライター。アート、写真、文学、教育、伝記など。 著書に「上野に行って2時間で学びなおす…

山内宏泰 公式サイト

ライター。アート、写真、文学、教育、伝記など。 著書に「上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史」など。 好物はマドレーヌ、おにまんじゅう。 【Twitter】@reading_photo   info@yamauchihiroyasu.jp

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【掲載中】デイリー新潮 東京藝術大学大学美術館「大吉原展」

江戸の文化集積地だった吉原とは、どんな町だったのか。 東京藝術大学大学美術館での「大吉原展」のこと、デイリー新潮で。 #吉原 #アート 「大吉原展」開催前には炎上騒動も…なぜ吉原はこれまで美術展のテーマになり得なかったのか #デイリー新潮

【掲載中】文春オンライン 鈴木おさむ『もう明日が待っている』『最後のテレビ論』を読む

「現在史」を描き出すって大事な仕事だ。鈴木おさむさんの新著2冊から、できるかぎりのことを吸収する試み。文春オンラインで。 #鈴木おさむ  #もう明日が待っている  #最後のテレビ論  SMAP“公開謝罪番組”が残した深い傷…「放送作家として参加した僕も戦犯である」 『もう明日が待っている』『最後のテレビ論』を読む https://bunshun.jp/articles/-/70354?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&

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【掲載中】クレアweb 写真家・瀧本幹也に訊く アイデアを生み出す“方程式”

仕事論がそのまま創造の軌跡となっているのがたまらなくかっこいい。 25年分のクライアントワークが詰まった『Mikiya Takimoto Works 1998-2023』を刊行した瀧本幹也さんのお話、クレアwebで。 「制約や違和感はあったほうがいい」 写真家・瀧本幹也に訊く アイデアを生み出す“方程式” https://crea.bunshun.jp/articles/-/47515 @crea_webより #CREAWEB

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きっとだれかの大切な場所

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「創作論」と「編集論」

創作と編集、その知見をできるだけ集め、まとめ、体系立てるのです。

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創作論16 物語とは関係を書くものだ

記憶の中から紡ぐ創作論の15回目。 物語、もしくは小説は何を表現しようとするものかを考える。 ひとことでいえば、個人が他者や世界と取り結ぶ「関係」を書いているんだろう。 関係を書くことを最高度に高めた例は、 夏目漱石『明暗』だ。 津田の足は次第に吉川の家を遠ざかった。けれども彼の頭は彼の足程早く今まで居た応接間を離れるわけには行かなかった。彼は比較的人通りの少ない宵闇の町を歩きながら、やはり明るい室内の光景をちらちら見た。 「明暗」は、情景描写がすくないのが特徴。あっ

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創作論15 言葉で世界を立ち上げること

記憶の中から紡ぐ創作論の14回目。 小説なら文章だけで、マンガは絵と言葉を用いて、世界を立ち上がらせる。 徹底的にこだわり考え抜いてこそ、イメージをつくることができる。 そのみごとな例として、大江健三郎『万延元年のフットボール』をみてみる。 冒頭からして、きらびやかな比喩表現で圧倒される。 「内臓を燃えあがらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に躰の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持で望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。」

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創作論14 読者とともに書くとは

記憶の中から紡ぐ創作論の13回目。 小説や漫画では、読者と登場人物が結託して、知見を共有する手法がある。これを見てみる。 夏目漱石『それから』より例をとると、 これを哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であると云う真理に帰着する。「私はそう考えた」と代助が云った。 地の文で難しげな理論が展開されているのを受けて、主人公の代助が「そう考えた」と言うのだ。まるで代助が、読者とともに地の文を読み進めていたかのように。 内田百閒『白子』から

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書くことと読むことの技術 についての本

「文章予測」 石黒圭  角川ソフィア文庫 人はつねに予測を働かせながら文章を読んでいる。 読んでおもしろい文章とは、1行ごと1文ごとに、予測が盛んに湧き起こる文章だ。 「それでそれで?」「だれのこと?」「そんな……どうなっちゃうの?」などなど、この先に何が待っているのか、想像をたくましくしてしまうような文章がいい。 予測には2種類ある。 まず「深める予測」。いつ、どこで、誰が、何を、なぜ……といった情報のうち、何らかの欠落があって、それが気になる。 たとえば村上春樹『世界

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アートのことごと

アートにまつわること、なんでもここに。

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「この一枚を観に」 テート・モダン ジャコメッティ『ディエゴの胸像』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう? 同じように、たったこの一点を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。 今回はロンドン、テート・モダンへ。ジャコメッティ『ディエゴの胸像』を観に。 ロンドンの発電所が美術館に かつてロンドンの「テート」といえば、現在のテート・ブリテンのことを指しました。テムズ河畔で1897年以来の歴史を刻み、テイトの名を冠する唯一のギャラリーだったから当然です。 ところが年を追う

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「この一枚を観に」 テート・ブリテン ウィリアム・ターナー『ノラム城、日の出』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう? 同じように、たったこの一枚を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。 今回は、テート・ブリテンへ。ウィリアム・ターナー『ノラム城、日の出』を観に。 国民的画家の作品、ここに眠る 英国絵画の精髄が、全館にわたってぎっしり詰まっている。それがテイト・ブリテンです。となると、どうしても外せない画家がひとりいます。英国が世界に誇る絵画の革新者。そう、ジョゼフ・マロード・

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「この一枚を観に」 テイト・ブリテン ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう? 同じように、たったこの一枚を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。 今回はロンドンのテイト・ブリテンへ、ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』を観に。 テムズ沿いにある 英国絵画の殿堂 ロンドンではテムズ川沿いを進みさえすれば、名所が続々と現れます。下流から順にたどればタワーブリッジ、大観覧車のロンドン・アイ、ビッグベンを擁する国会議事堂。そしてその先に

「この一枚を観に」 ロンドン・ナショナルギャラリー レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう? 同じように、たったこの一枚を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。 今回は、ロンドン・ナショナルギャラリーのレオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』を観に。  ナショナルギャラリーは、絵画の専門館。13世紀から20世紀初頭までという長い期間のヨーロッパ絵画史を、実物によって余すことなくたどれるようにできています。  ここに、どうしても欠かすこと

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文学のことごと

文学のすべてを、ここに集めるのだ。

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吉本隆明 「彫刻のわからなさ」 を読む  〜まったくあたらしく世界を立ち上げることの、すばらしさとむずかしさについて

 ピカソらによるキュビズムは絵画史上の大冒険だったというのが大方の世評、というか史実になっているけれど、じつはちょっと違うと思う。  キュビズムは絵画ではないからだ。  ではキュビズムは何だというのか? あれは彫刻だ。 「彫刻とは、具体的な素材に則した視覚的表現ではなく、想像的な表現ということになる。視覚は一方向からしか物事をとらえられないが、想像力は多面的で綜合的な代りに、細部の再現を無視するものだからだ」  と、吉本隆明は短い文章「彫刻のわからなさ」で言う。  人はものを

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『ラオコオン 絵画と文学との限界について』 を読む  絵画や彫刻や文学はそれぞれ、瞬間をどう表現するか

 ラオコーン像は紀元前に造られた彫像で、1506年にローマで発掘されたもの。その存在自体は、森羅万象に関心を抱き「博物誌」を著したローマの学者プリニウスがこの像についての記述を残していることから広く知られ、発見が待望されていた。  プリニウスいわく、この像こそあらゆる絵画・彫刻作品のなかで最も好まれているものであったとのこと。発掘が成るとセンセーションを巻き起こし、さっそく像を目にしたミケランジェロは、「芸術の奇蹟」と評して感嘆したとか。  そんなラオコーン像を題材に、絵画

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夏目漱石『夢十夜』の「第六夜」から、彫刻のことを考える

 夏目漱石の書くものはいつだって、出だしが鮮やかに過ぎる。  夏目漱石『夢十夜』の「第六夜」もそうで、 「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行って見ると、」  と書き始めて、有無を言わさず鎌倉時代に亡くなっているはずの運慶を、一文にして蘇らせてしまう。  漱石の筆によると、運慶は山門の前で、明治時代の男たちに囲まれながら、一心不乱に像を刻み続けていたという。  様子を見ていると、ずいぶん躊躇なく鑿と槌をふるっている。そうして、 「厚い木屑が槌の声

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写真を読む ~安部公房『箱男』のなかの、「見る・見られる」の関係

 安部公房の『砂の女』では、ひとくみの女と男が、砂のなかの家にとらわれている。  女が住んでいた家にあとから来ることとなる男は、虫を探して砂丘へと誘い出され、見つけた虫にカメラを向けるも、足元をとられてシャッターを押せなかった。  そのまま砂に巻き込まれ、家と女に絡めとられ、抜け出せなくなる。蟻地獄にはまったみたいに。  ああ、あのとき、シャッターを押しさえすればよかったのにとおもった。  シャッターを押して、写真に撮れば、その光景は記録され記憶の素となる。すなわち男にとって

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現在史1990〜

1990年代からこのかたの「現在史」をつくる。

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現在史1990〜 1991年3月のこと

 一九九一年三月のこと。  自分の内側が、空っぽのがらんどうになった気分だった。  寝て起きて、とくにすることも思いつかず、家のなかでぼおっとしている日が続いた。詰め込んだ受験知識が毎秒ごと、脳内からどんどん抜け落ちていくのがわかった。    月初に合格通知がきて、東京の大学へ進学できることになった。  速達で届いた通知を玄関先で開けた瞬間も、飛び上がるようなよろこびというより、これでなんとかなる、間に合ったかなと、ただただほっとした。  自分を受験勉強に駆り立てていたのは

現在史1990〜  1990年12月のこと

 一九九〇年十二月末日だった。  大晦日とはいっても、特別なことは何もない。大掃除だってしない。秋口から同じペースで続けてきた受験勉強を、ひたすら継続するだけだった。  前の週から冬休みにはいった。年が明けても、三年生は通学しなくてもいいから、高校は実質終わったようなものだ。一日丸ごと二十四時間が、自分の手元に落ちてきた。ふつうなら持て余しそうだけど、いまは目の前にやることがたくさんあって、それをこなすのに精一杯で、時間はあればあるだけありがたい。  焦っていた。国語も英語も

現在史1990〜  1990年11月のこと

 一九九〇年十一月のこと。  愛知と岐阜の県境近く、山ひとつ削って拵えられた新興住宅地の片隅に一軒の分譲住宅があって、その二階の六畳間で夜な夜な僕は勉強だけしていた。  十八歳で、受験生だった。  平日のルーティンは、こうだ。  まず、高校にはちゃんと通う。学校をあてにせずすべてを予備校に委ねるか、自分で計画を立てるツワモノもいるけど、自分にはそこまでの自信もビジョンもない。生活ペースを保つためだけでも、学校に行く意味はある。  とはいえ、大半の授業では内職に励む。最近はも

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