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山内宏泰 公式サイト
アーティストがなぜ身の回りの環境や生活を重視するのか。 深くうなずきたくなる横山奈美さんのお話の数々。沁みますよ。 「創作の現場から」、ウェブ美術手帖で! #横山奈美 #創作の現場から 横山奈美のアトリエを訪ねて。「ちいさい心の引っかかりを考え続けることが、そのまま作品づくりになっていきます」|美術手帖 https://bijutsutecho.com/magazine/series/s45/25592#.YorqrhI8OEM.twitter
シュウゴアーツで「限りなく透明な」開催中、イケムラレイコさんの言葉をたっぷりと。 新機軸のガラス彫刻、半透明で美しくって、美味しそうにも思える。 ウェブ美術手帖で! #イケムラレイコ イケムラレイコが挑み続けられる理由。「個人を超えた大きな力を得て、いつも作品は産まれてくる」|美術手帖 https://bijutsutecho.com/magazine/interview/25581#.Yog2AkxRJhs.twitter
藤田真央さん連載、第5回が公開中。 シューベルト、ブラームス、シューマン、そして協奏曲の醍醐味についてと、お話は多岐にわたり展開されますよ。演奏聴いてる気分だなあ。 ウェブ別冊文藝春秋で! #藤田真央 ピアニスト・藤田真央 #05「わたしのプログラムづくり――理想の音を捜し求めて」|WEB別冊文藝春秋 @bessatsubunshun #note https://bessatsu-bunshun.com/n/nbf17252fc348
Chim↑Pom from Smappa!Group と名をかえたことでも話題のアート・コレクティブメンバー、エリイさん。刊行した著書『はい、こんにちは』のこと中心に、考えを披瀝くださってます。 人の記憶ってそんなにもなり得るの? など驚きの連続。文春オンラインで! #エリイ 「私は完全なる死を産んでしまった」 Chim↑Pom from Smappa!Group エリイが綴った“いましかない!”記憶 アート・ジャーナル #文春オンライン https://bunshu
寄せては返す波のように、読むこと書くことを日々学ぶのです。
この国で戦乱が日常だったのは遥か昔のこと。ここ百年余りは幕府の大いなる力によって、太平の世が続いていると人は言う。 が、それは表面上のこと。日の本全体を統治平定し続けるために幕府は、裏で常に権謀術数を張り巡らせてきたに決まっている。 江戸の藩邸に勤めているあいだ、尾関はそれを肌身に感じてきた。大小さまざまな藩の屋敷やそこに出入りする者は、動静を逐一監視されているのを感じる。逆に幕府の動向には情報統制が敷かれ、少なくとも尾関程度の地位には噂話すらろくに降りてこない。
幕府から薩摩藩へ届いた御手伝い普請の話には、かなりの無理があると尾関尚吾には感ぜられた。 そもそも濃尾平野での治水工事を、薩摩が請け負うということからして不可解だ。地縁も何もないのだし、大河川のない薩摩には治水土木の技術などないに等しい。 濃尾の近隣にある藩にとっても、なぜ列島最南端の薩摩なぞが出張ってくるのか、不審でしかたなかろう。実施されるとなれば、疑心暗鬼といらぬ敵対心だけが醸成されることになる。 内々に示されたという普請にかかる費用が、十万両余りというのも
そこでは雪という存在がすべてを動かす。時間さえもね。 圧倒的な写真集『雪の刻』をつくった中井菜央さんが送った雪まみれの日々のこと。 文春オンラインで! #中井菜央 #津南町 「ありゃだれだ?」「東京から来てる写真屋さんらしいが……」 中井菜央が新潟県津南町に‟住み込みアルバイト”で撮りためた圧倒的な‟雪”の光景 アート・ジャーナル #文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/52521?utm_source=twitter.com&ut
自身の上司が暗愚であることを、尾関はよくよく承知している。 そして同時に、自身はそのことをとくに苦にしていない。 薩摩という雄藩の士として生まれたからには、大きな組織に身を置き殿に仕えるのは必定。その際どんな人物が上に就くかは、本人の預かり知らぬところである。 誰のもとで働くにせよ、自分が本分をまっとうすればいいだけの話だと、尾関はすっぱり割り切っている。 どころか尾関は、平田にむしろ感謝の念を抱いている。とりたてて強い地縁・血縁もない自分をこうして引き立てて、仕
あと何冊読めるだろう。 ふとそう思いました。 だから、 本を読もう。 もっと本を読もう。
最果タヒはほんとうになんでも書ける。ジャンルを無化する。この本に載っているのは便宜上エッセイと呼ばれることが多いのかもしれないけれど、詩でもあり小説でもあるだろうとおもう。総称していつも「ふみ」を書いてるのだと決めつけたい。 または、最果タヒの書くものはいつもただの「運動」だという気もする。何を書こうとしているかはともかく、そこに「流れ」を生じさせているというか。 流れを記述しようと心を砕いた書き手が、そういえば百年あまり前にもいた。 ヴァージニア・ウルフ。 彼
江國香織の書くものは、いつも欲望のかたまりとしてある。 自分の欲望で、作品のすべてを埋め尽くそうとしている。 それはどんな欲望か。自分の「好き」で世界を覆いつくしたいという願いだ。 「私」は20歳で、バイトを掛け持ちして暮らしている。双子のような兄がいて、彼には妻と娘がいる。おまけに50代の愛人までいる。 「私」のもとに「やどかりを知らないか」と隣人の男の子が訪ねてきて、そこからちょっと奇妙な夏の日々が展開していく。やどかりを探したり探さなかったりしているうちに、気
ロンドン南西部、テムズ川沿いに広がるキュー王立植物園といえば、18世紀から歴史を刻む世界最大級の植物園。無数の植物種と遭遇できて、園芸好き・植物好きにとっては絶対的な憧れの地であるとともに、そぞろ歩く庭園としても本当に居心地がいい。 そんなキュー植物園での人や自然の営みを、とりたててストーリーの行き先もないまま、ウルフは文章でスケッチしていく。ふうんただのスケッチ小品かと思えば、まったくそうじゃない。その描写の精緻さと生気たるや、只事じゃないのだ。 知るかぎり最もスロウ
「人間が人間らしく生きて幸福な日々を送ることは全体としての自然、全体としての宇宙の存在意義に逆らうものではないと証明しなくてはならない」 池澤夏樹による文明論。かつて文学者は詩や小説のみならず、あらゆる事象について語るものだったのだ。 20世紀は核の脅威に満ちた時代だった。人類や地球に終末がやってくるとしたら、おそらく核に関連したものだろうと予想がついた。そうしてその終末の到来は、じゅうぶんにあり得るものと考えられていた。 悲観論は、さまざまな立場から提出されていた。
写真のすべて!
話題になることはめっきり少なくなったといえ、1959年から84年にかけて、在日朝鮮人帰国事業がおこなわれていたのは歴史的事実です。夫に同行して朝鮮民主主義人民共和国に渡った「日本人妻」たちは、現地でどんな暮らしを営んできたのか。いま何を想っているでしょうか。 それを知るための一冊がこちらです。と店主が出してきたのは、林典子の6年間にわたる取材成果をまとめた『フォト・ドキュメンタリー 朝鮮に渡った「日本人妻」--60年の記憶』。 これは岩波新書なので、基本的には文章を中
文豪・永井荷風が写真にはまっていたのはよく知られるところ。彼の手になる写真も多く伝わっていて、これはそのうちの数枚ですね。 もちろんオリジナルプリントではありませんけども、と店主は幾枚かの写真を持ち出してきた。 街を遊歩していた荷風は、ときにカメラを手に気ままに撮影していたようで、いろんなものをさまざまなスタイルで撮っていますよ。 自分の食事を撮ったり、踊り子たちがラインダンスしているのを写したり、通い慣れた下町の散歩道もしっかり押さえていたり。 モダンなもの、いかに
今年は東京がよく話題に上りますね、東京写真といえばまずこれでしょうと店主が出してきた一冊は、こちら。幼少期から東京で育ち、長じてついた写真家としての仕事も東京を拠点に続けてきた中野正貴による、その名も『TOKYO』という写真集。 全編これ東京の街の光景を収めた写真が続いているのですが、最初の1枚が最も古くて、1964年のもの。そう、前回の東京オリンピックが開催されたときです。駒沢オリンピック競技場に聖火がともっている様子が写っていますね。中野がほんの子どものころに撮った
写真はたいてい具体的な何かを写すものなのだから、被写体の重要性はいくら強調してもやり過ぎということはないはずです。これは写真がまずもって被写体のためのものであることを、はっきり示している一冊ですよ。 と言いながら店主が持ち出してきたのは、川島小鳥が撮影した『つきのひかり あいのきざし』だった。 被写体になっているのは、女優の尾野真千子。彼女を台湾や奈良各所で撮影したものです。どのカットも肩の力が抜けたムード。尾野真千子はどこまでも自然体で、無防備な姿を晒しています。た
東京に湖は、ない。 じゃあ東京都心にいるとき、どうしても湖を見たくなったら、どこへ向かえばいいか。 最寄りの湖は、神奈川県にある。 震生湖だ。 東名高速道路、秦野中井インターチェンジ近くの丘陵地。ちょっとした坂道をクルマで上りきったところに、駐車場がある。そこから歩いてささやかな林を抜けていくと、木立の合間にキラ、と光るものがある。むろんそれが湖面だ。 そのまま進むと、浅い入り江に出た。湖面に沿って向こうのほうまで視界が開け、細長い湖の全貌が見渡せる。 これだけ
日本地図を俯瞰で見れば、富士山を取り囲んである富士五湖の連なりのうちに、芦ノ湖もあるということになるか。 東京圏に住む人からすれば、近場のリゾートとして真っ先に思い浮かぶのは日光、軽井沢、箱根であって、芦ノ湖はその箱根観光における終着地のような位置付けとしてある。 だから湖畔にはロープウェーもあれば大きいホテルもあり、湖面には海賊船の装いに仕立てられた遊覧船が揚々と湖上を渡る。船は箱根観光船と芦ノ湖遊覧船の二社がそれぞれに運航しているほどの手厚さだ。 それで一帯は充分
富士五湖のうち、ひとつだけ東に外れた位置にある山中湖は、五湖のうちいちばん観光開発が進んでいて、湖畔はどこも絵に描いたような避暑地の光景が広がっている。 かくいう自分も、学生時代には夏になるたび、サッカーの合宿と称して足を運んだのだった。 真夏なのに夜になると、上着が欲しいほど冷えたのをよく覚えている。湖の外周路に出没する屋台のラーメンがやけにおいしかった。それもそのはず、湖面位置の標高はおよそ千メートル。五湖で最も高地にある。 そのころはろくに見ていなかったけれど、
陽が昇るにつれ、薄くかかった霧が晴れてきて、眼下に広がる水が銀色に光って見えた。 湖面から視線を上げていくと、すっと伸びる稜線が目に入る。天へ昇っていく方向へ辿っていけば、雪の白さが眩しい。 山梨県側、御坂峠の頂上近くから眺める富士山と河口湖の光景だ。 それにしても、姿を現すだけで誰しも思わず「おお、」と声を上げてしまう、富士はまこと千両役者だ。 富士の魅力の源泉はいったいどこにあるのか。形容か色合いか周囲の環境か。はっきり名指せないが、万人に晴れがましさを感じさせ