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アートのことごと

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記事一覧

「この一枚を観に」 テート・モダン ジャコメッティ『ディエゴの胸像』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょ…

「この一枚を観に」 テート・ブリテン ウィリアム・ターナー『ノラム城、日の出』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょ…

「この一枚を観に」 テイト・ブリテン ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア…

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょ…

「この一枚を観に」 ロンドン・ナショナルギャラリー レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖…

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょ…

「この一枚を観に」 ナショナル・ギャラリー ヤン・ファン・エイク《アルノルフィニ…

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょ…

彫刻を読む  《火焔型土器》

 これを彫刻と呼ぶべきかどうかは、彫刻の定義をもすこし固めてから考え直したいところではあ…

吉本隆明 「彫刻のわからなさ」 を読む  〜まったくあたらしく世界を立ち上げることの、すばらしさとむずかしさについて

 ピカソらによるキュビズムは絵画史上の大冒険だったというのが大方の世評、というか史実になっているけれど、じつはちょっと違うと思う。  キュビズムは絵画ではないからだ。  ではキュビズムは何だというのか? あれは彫刻だ。 「彫刻とは、具体的な素材に則した視覚的表現ではなく、想像的な表現ということになる。視覚は一方向からしか物事をとらえられないが、想像力は多面的で綜合的な代りに、細部の再現を無視するものだからだ」  と、吉本隆明は短い文章「彫刻のわからなさ」で言う。  人はものを

『ラオコオン 絵画と文学との限界について』 を読む  絵画や彫刻や文学はそれぞれ、…

 ラオコーン像は紀元前に造られた彫像で、1506年にローマで発掘されたもの。その存在自体は、…

夏目漱石『夢十夜』の「第六夜」から、彫刻のことを考える

 夏目漱石の書くものはいつだって、出だしが鮮やかに過ぎる。  夏目漱石『夢十夜』の「第六…

養老孟司さんが 「『見る』から始めよ」と教えてくれた

 「見る」ことの不思議は、いつも気になる。  養老孟司さんにお話を伺う機会があった際、見…

プレトニョフの音がいつまでも 自分のなかに留まっていてほしい

 日本贔屓のピアニスト、ミハイル・プレトニョフは二月、早くも今年最初の来日を果たし、幾度…

チョコレートの世界をアップデートする!  ショコラティエ石井秀代の挑戦とは?

みんな大好きなチョコレートの世界に、新風を吹き込もうと名乗りを挙げた女性がひとり。 世界…

大人の教養としてのアート入門  8 仕上げで実地に作品を観に行く!

西洋と日本の双方で、アートの全体像を駆け足で巡ってきました。言及したのは時代を画す巨匠と…

大人の教養としてのアート入門  7 応仁の乱を境として、日本美術は大きく変わった

日本美術のピークは浮世絵、とりわけ葛飾北斎にありというのが前回のお話。 では改めて、ピークへ至るまでの日本美術の流れをおさらいしてみましょう。 日本では美術の守備範囲がかなり広い(何しろ茶器、つまり日用品がその中核を為したりしますから)ので、ここでは主に絵画のみを見ることとします。 日本の絵画が本格化したきっかけは仏教当時の日本からすると、仏教は最先端の外来思想。これを受け入れるには、考え方や生活をガラリと変えねばなりませんでしたが、当時の人々は躊躇しませんでした。ちょうど