山内宏泰 公式サイト

ライター。アート、写真、文学、教育、伝記など。 著書に「上野に行って2時間で学びなおす…

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ライター。アート、写真、文学、教育、伝記など。 著書に「上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史」など。 好物はマドレーヌ、おにまんじゅう。 【Twitter】@reading_photo   info@yamauchihiroyasu.jp

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「セールスマンの死」2   20210930

 私が父の死相を目の当たりにしたのは、ひと月ほど前のこと。すでに梅雨入りもしていたはずだ。  私は夏に上演される舞台に役がつき、本読み稽古が始まっていた。その週…

「セールスマンの死」1(改)   20210929

 私は泣いたことがない。赤ん坊のころはいざ知らず、すくなくとも記憶のあるかぎりは、ずっと。  それが引け目だった。露見せぬよう細心の注意を払ってきた。オーディシ…

第二十九夜 「キュー植物園」ヴァージニア・ウルフ 〜月夜千冊〜

 ロンドン南西部、テムズ川沿いに広がるキュー王立植物園といえば、18世紀から歴史を刻む世界最大級の植物園。無数の植物種と遭遇できて、園芸好き・植物好きにとっては絶…

「セールスマンの死」1   20210928

 梅雨時の水曜日、帰宅ラッシュの時間だった。仕事を終え東京から千葉へ戻る人を詰め込んだ総武快速線が、耳障りな高音を響かせながら江戸川にかかる鉄橋を渡っていく。 …

第二十八夜 「楽しい終末」 池澤夏樹 〜月夜千冊〜

「人間が人間らしく生きて幸福な日々を送ることは全体としての自然、全体としての宇宙の存在意義に逆らうものではないと証明しなくてはならない」  池澤夏樹による文明論…

『ドライブ・マイ・カー』は「中年讃歌」である 〜読み書きのレッスン〜

 2時間59分という長大な上映時間は伊達じゃない。『ドライブ・マイ・カー』の作中にはたくさんの考えるべきことが内包されていて、いちどきに語るなんてできそうにないけ…

「セールスマンの死」2   20210930

 私が父の死相を目の当たりにしたのは、ひと月ほど前のこと。すでに梅雨入りもしていたはずだ。  私は夏に上演される舞台に役がつき、本読み稽古が始まっていた。その週末は幸いオフだったので、急ぎ愛知へ帰省した。  生きた父を、ひと目でも見ておくためだ。  今年に入って、父は格段に弱った。リビングに据えた介護ベッドから、一歩も出られぬ状態が続いていた。  昨年の検診で見つかった食道癌手術は何とか乗り切ったものの、予後に誤嚥性肺炎を起こして入院は長引いた。その間に慢性白血病も併発し

「セールスマンの死」1(改)   20210929

 私は泣いたことがない。赤ん坊のころはいざ知らず、すくなくとも記憶のあるかぎりは、ずっと。  それが引け目だった。露見せぬよう細心の注意を払ってきた。オーディションの場なんかでポロリ話してはおしまいと、つねに自分を戒めている。  だってバレたら、商売上がったりじゃないか。同業者ならまだしも、プロデューサーや演出家ら制作サイドに、 「あいつ不感症らしいよ、実生活じゃ」  などと陰口されては、役者としての評価にかかわる。  そう我々役者とは、自分の身体を使い感情を表すのが仕事

第二十九夜 「キュー植物園」ヴァージニア・ウルフ 〜月夜千冊〜

 ロンドン南西部、テムズ川沿いに広がるキュー王立植物園といえば、18世紀から歴史を刻む世界最大級の植物園。無数の植物種と遭遇できて、園芸好き・植物好きにとっては絶対的な憧れの地であるとともに、そぞろ歩く庭園としても本当に居心地がいい。  そんなキュー植物園での人や自然の営みを、とりたててストーリーの行き先もないまま、ウルフは文章でスケッチしていく。ふうんただのスケッチ小品かと思えば、まったくそうじゃない。その描写の精緻さと生気たるや、只事じゃないのだ。  知るかぎり最もスロウ

「セールスマンの死」1   20210928

 梅雨時の水曜日、帰宅ラッシュの時間だった。仕事を終え東京から千葉へ戻る人を詰め込んだ総武快速線が、耳障りな高音を響かせながら江戸川にかかる鉄橋を渡っていく。  視界に入る乗客全員が肩をすぼめスマホ画面に没入しているのを、何の感興も湧かぬままただ眺めていた。降車する千葉駅はまだ遠い。  ふいに胸元が激しく震えて、喉から呻き声が漏れた。慌ててジャケットの内隠しに手をかける。こんな夜分にスマホが着信するなんて、よほどの緊急か。すわ何事と考えを巡らすも、すぐにああそうかと目星は

第二十八夜 「楽しい終末」 池澤夏樹 〜月夜千冊〜

「人間が人間らしく生きて幸福な日々を送ることは全体としての自然、全体としての宇宙の存在意義に逆らうものではないと証明しなくてはならない」  池澤夏樹による文明論。かつて文学者は詩や小説のみならず、あらゆる事象について語るものだったのだ。  20世紀は核の脅威に満ちた時代だった。人類や地球に終末がやってくるとしたら、おそらく核に関連したものだろうと予想がついた。そうしてその終末の到来は、じゅうぶんにあり得るものと考えられていた。  悲観論は、さまざまな立場から提出されていた。

『ドライブ・マイ・カー』は「中年讃歌」である 〜読み書きのレッスン〜

 2時間59分という長大な上映時間は伊達じゃない。『ドライブ・マイ・カー』の作中にはたくさんの考えるべきことが内包されていて、いちどきに語るなんてできそうにないけれど、まずはひとつ大事なテーマを挙げるとすれば……。 「中年、いかに生きるか」 である。これを今作は強く問うている。  まずもって、「こんな大人になりたい」ナンバーワンたる、西島秀俊が主要人物を演じているのが象徴的だ。この一事だけでテーマが際立つ。  とりわけ僕にとってはそう。というのも西島秀俊は僕の憧れ中の憧れ