「セールスマンの死」2 20210930
私が父の死相を目の当たりにしたのは、ひと月ほど前のこと。すでに梅雨入りもしていたはずだ。
私は夏に上演される舞台に役がつき、本読み稽古が始まっていた。その週末は幸いオフだったので、急ぎ愛知へ帰省した。
生きた父を、ひと目でも見ておくためだ。
今年に入って、父は格段に弱った。リビングに据えた介護ベッドから、一歩も出られぬ状態が続いていた。
昨年の検診で見つかった食道癌手術は何とか乗り切ったものの、予後に誤嚥性肺炎を起こして入院は長引いた。その間に慢性白血病も併発した。
万全に戻る見込みはなかった。感染症が蔓延する時節柄、病床を長く占めると風当たりも強い。あとは自宅で緩和ケアを、と話がついた。
あとどれくらい持ちます? 退院に際して主治医へ率直に尋ねると、
「余命は若い方に告げるもの。こんな高齢で重篤な場合は数えません。明日急変しても不思議はないし、それが半年後かもしれない」
そういうものかと納得した。
自宅のベッドで二ヶ月ほどは小康を保った。が先頃、父をひとり看る母から連絡が入った。かなりよくない、いよいよだと涙ながらの電話だった。
生きているうち会っておくべきかと、帰省のタイミングを探ったのだった。
新幹線と名鉄線を乗り継ぎ、夕刻には実家へ行き着いた。玄関ドアを開けると、近所の開業医が往診に来てくれた帰り際に出くわした。
「あい息子さんかね。遠くからエラかったね」
老医者は私を労い、続けて小声で告げた。
「いいときに帰ってこられたわ。死相が出とる。もう長くないよ」
まあそうなんだろう。ともあれ間に合ったのをよしとすべしだ。