山内宏泰 公式サイト
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あと何冊読めるだろう。 ふとそう思いました。 だから、 本を読もう。 もっと本を読もう。
文学のすべてを、ここに集めるのだ。
創作と編集、その知見をできるだけ集め、まとめ、体系立てるのです。
アートにまつわること、なんでもここに。
どこよりも早い! はずの、芥川賞受賞後インタビュー。 砂川文次さんの言葉は、小説と同様に歯応えガッツリですよ。 「リアル」じゃなくて全然いいから、「リアリティ」を小説に植え付けんとする強い意思。しびれる。 #芥川賞 #砂川文次 #ブラックボックス 〈芥川賞受賞〉「エッセンシャルワーカーを ”保護する”というニュアンスに違和感があって…」 砂川文次が『ブラックボックス』に書き込んだ“怒り”のパワー 砂川文次さんインタビュー #文春オンライン https://bunshun.j
宝暦治水をひとつの事象と見た場合、幕府側からすれば「天下の暴れ河」平定の足掛かりができて、満足いく結果を得たと言える。 実務はすべて薩摩藩に丸投げだから、懐ひとつ痛まないのだし。 では薩摩藩から見た、宝暦治水の意味は? そもそも縁もゆかりもない地の治水に借り出されたのは、幕府の一方的な命による。外様・薩摩の力を削ぐ方策だったのは明らか。 本来、薩摩藩がそんな無理難題を引き受ける大義や理は欠片もない。断固拒否すべき事案だったかもしれない。 折れて工事を請け負っ
中井先生は公立施設で心療内科の先生をしているのだとか。かつて患者として関わった人に、城下の公園での「朝活」に熱心な向きが多くて、これは心身にいい場所に違いないと、様子を見に来るようになった。 スタバではひたすらニコニコして座っているばかりだったけれど、著作もあって立派な先生だと周りから大いに囃し立てられていた。こんど読んでみる。 この朝の出会いから、わたしのルーティンは項目が増していった。 毎日起き出したらすぐに城下の公園まで行き、まず太極拳、ついでヨガと青空教室
安心できる場で、ただぬくぬくしていたい。小さいころのわたしの願いは、それに尽きた。なのに父は、ちっともわかってくれなかった。よかれと信じて、いつもわたしを外へ連れ出そうとした。 思えばいまも同じだ。父がみかん山でトロッコから転げ落ちて死んだ、そのことをきっかけにわたしも、みかん山を出てさ迷う羽目になった。山のふもとでぬくぬくなどしていられなくなった。 何かを得たいなら、自分から動きなさい。そう父に促されたみたいなものだ。 それもしょうがない、もう子どもでもないのだ
かように今際の際まで当人が戸惑っていたことからわかる通り、薩摩の人・平田靫負は生涯にわたり、それこそ自害するそのときに至るまで、失敗し続けた男だった。 だが伝え残る話では、そうなっていない。薩摩と美濃の郷土史を彩る「宝暦治水」、この出来事の中心人物として語られる平田靫負は英傑だ。ゆかりの地に銅像が立ち、顕彰され続けている。 宝暦治水とは、江戸中期におこなわれた大規模治水工事のこと。 一七五三(宝暦三)年末、江戸幕府は薩摩藩にお触れを出す。水害を繰り返していた木曽三
知らず止めていた息を吐く。と平田は、室の異変に気づいた。 生臭い! くさいのは息か、血の匂いか。違う、己の全身だ。 毛穴という毛穴から、嫌なにおいが立ち上っている。 我ながら不快な。においを避けようと、身じろぎした。その拍子に短刀が腹をぐいと食み、切先は弾力ある筋繊維に潜り込む。 溢れる血の勢いが増した。下腹部全体が朱色に染まっていく。 い、痛いではないか! これは、大ごとだ! 遅まきながら平田は慌てふためいた。 人の皮はこんなに薄いのか。筋は薄皮の