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養老孟司さんが 「『見る』から始めよ」と教えてくれた

 「見る」ことの不思議は、いつも気になる。
 養老孟司さんにお話を伺う機会があった際、見ることにまつわる話になって、内心歓喜したことがあった。
 以下のような、「見る」から始めよ、との教えだ。

 医学を学ぶとき、最初に解剖をやらされるというのは、たいへん理に適っている。
 医学を学んでいくのに必要な要素が、解剖にはたっぷり含まれているからだ。
 その要素とはたとえば、「何事もよく見ることから始まる」という原則。解剖は形態学であり、そこにあるかたちをしっかり目で見るのが基本である。

 ものを見るって、なかなか難しいことだ。同じものを見て、そこから何かを見てとる人もいれば、漫然と眺めるばかりで何も気づかずじまいの人もいる。
 解剖で人体をつぶさに見て観察していれば、いずれその体験が「生物にとって、人にとって、死とは何か」などの考えに結びついていく。見ることが、世界と向き合う第一歩となる。

 あてる字は違うものの、患者対応のことも「診る」と言う。臨床においても医学では「みる」が基本。よく「みる」ことができれば、患者は一人ひとり違うことに気づくはず。
 個々の身体も病状も、想像よりはるかに複雑で、現実は教科書通りになっていないことが多々ある。
 医学はもとよりどんな分野だって、教科書を勉強していれば済むわけじゃないことは、よく見ていさえすればすぐわかるものだ。

 昨今の情報化社会では、できるだけすべてを同じとみなして物事を処理する傾向が強まっている。違いは誤差であり、瑣末なディテールだと切り捨ててしまう。
 だがそれは違う。医療を筆頭に現場で働く人は、ディテールを切り捨てられないものだし、個々の違いにこそ目を凝らしている。

 世界は違いに満ちているし、人はみんな違っている。それを知るためにも、見ることがまずは基本と考えられるのだ。

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