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「この一枚を観に」 テート・モダン ジャコメッティ『ディエゴの胸像』


人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう?
同じように、たったこの一点を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。

今回はロンドン、テート・モダンへ。ジャコメッティ『ディエゴの胸像』を観に。

ロンドンの発電所が美術館に

かつてロンドンの「テート」といえば、現在のテート・ブリテンのことを指しました。テムズ河畔で1897年以来の歴史を刻み、テイトの名を冠する唯一のギャラリーだったから当然です。
ところが年を追うごとに、ある問題が浮上してきました。英国美術と19世紀以降の近現代美術を扱うテイトは、このままだと増え続ける収蔵品を抱えきれず、展示スペースも不足することが明らかになってきたのです。そこでロンドンに新しい美術館を建設する計画が立ち上がり、2000年にテート・モダンが誕生します。
これにより、テート・ブリテンは英国美術の専門館となります。そしてモダンのほうには、およそ19世紀後半から現在に至るまでの世界の現代美術が集められることとなりました。

テート・モダンの重厚で巨大な建築は、テムズ南岸のサザーク地区に位置しています。川向かいにはセント・ポール大聖堂、その先には世界に冠たる金融街シティが広がります。ロンドン中心地にこれほど広い敷地がよく残っていたものだと思いますが、ここはもともと発電所でした。建物をそのまま活かす形で、美術館に生まれ変わらせたのでした。
設計者は新鋭建築家だったヘルツォーク&ド・ムーロンのふたり。コンペには多数の応募があり、世界的な建築家がこぞって参加しました。日本の安藤忠雄の案も最終候補に残ったのですが、発電所施設の趣をできるだけ残そうとした若きふたりの案が勝ち残りました。

身近な人間を「見たままに」彫刻に

サザーク地区はもともと、さほど栄えた地域とはいえませんでした。どちらかといえば、ロンドンの繁栄から取り残されたところ。それがテート・モダンのオープンによって、あっという間にロンドン観光の中心地のひとつとして君臨するようになりました。
開館にあたってある関係者は、「ここは現代美術における世界の三大施設のひとつになる」と豪語。ニューヨーク近代美術館(MOMA)、パリのポンピドゥーセンターと並ぶ現代美術の殿堂になると言い切ったわけです。その予想は見事に当たりました。オープン以来、テート・モダンは抜群の集客力を保っています。

「場」としてのおもしろさ、立地のよさももちろんですが、展示されている作品の充実ぶりが、いちばんの人気の理由でしょう。コレクションには数々の名品があります。そのなかで今回ぜひ注目したいのは、アルベルト・ジャコメッティの彫刻です。
画家としても知られるジャコメッティですが、最も印象に残るのは、だれもマネのできない独自の彫刻表現。針金のように細長い人物像、ヒラメよりも薄っぺらな頭部像、ときにはマッチ箱に入ってしまいそうなほど小さい彫像など、どれもひと目見たら忘れられないインパクトを残します。

テート・モダンには、ジャコメッティが1955年に制作した『ディエゴの胸像』があります。モデルとなっているディエゴは、彼の一歳違いの弟です。凸凹が目立つ力強い造形、それでも同時にはかなさも感じさせる不思議な彫刻です。頭部は鋭くとがり、顔面は両側から挟まれたように平たくなっています。
この作品だけでなく、ジャコメッティは幾度もディエゴをモデルに制作をしています。絵画にしろ彫刻にしても、徹底的に見ることを繰り返し、同じモチーフを追求するのが彼の方法です。よく見知っているはずの弟の顔を、なんとか見たままに表現できないだろうか。そう模索し続けたあまり、私たちが日常で触れる人間の姿とは大きく隔たった造形が現れ出てきたのです。

時代の空気を凝縮した「不安」の彫刻

ジャコメッティは1901年、スイスの生まれ。ジュネーヴ、ベネツィア、ローマで美術を学び、1922年、意気込んで当時の芸術の中心地パリへ赴きました。数年の後、自作を発表するようになりますが、そのころのパリで幅を利かせていたのはシュルレアリスムです。アンドレ・ブルトンやサルバトーレ・ダリらが文学、美術など幅広いジャンルで、現実を超えた現実を表現に取り入れようとしていました。
ジャコメッティもそうした面々から評価され、1930年からシュルレアリスム運動に参加します。しばらくは抽象的なテーマの作品を手がけていたのですが、35年ごろには作風を変えます。具体的なモデルを使って彫刻をつくり始めるのです。そうして第二次世界大戦後になると、針金のように細かったり、平らだったりする彫刻が、次々と彼の手から生み出されるようになりました。

ジャコメッティの目に、人間の姿は等身大で膨らみのある形には映らなかったのでしょうね。彼は自身が感じたままの人間を造形しようとして、あの奇妙な人間の像に行き着いたのです。ジャコメッティが表す人間は、微風に負けて飛び去りそうだったり、ちょっとした刺激でもポキリと折れてしまいそうだったり、内面など持ちようもないほどペラペラの外見だったりします。それらは、人間の存在そのものが不安にさらされている様子を、はっきり表しています。
人類の残酷さがくっきりと曝け出されてしまった二度の世界大戦を経て、ときはまさに人間の尊厳が問われる時代に。ジャコメッティの彫刻は、そんな時代の空気が凝縮して形を成したような作品といえそうです。『ディエゴの胸像』は、自分の弟というごく身近な題材を通して、20世紀を象徴するような造形を生み出した格好の例。20世紀の経済発展を支えた発電所を造り直して、テート・モダンはいま、美の殿堂になりました。「現代の記憶」を甦らせる作品がぎっしりと詰まっているなかで、ジャコメッティの彫刻は場の空気を代表するもののひとつとなっています。
 
人がそこに「在る」とは、決して自明なことじゃない。ジャコメッティの脳裏には、そんな思いが渦巻いていたのでしょう。そこで彼は、人とは何か。どうあるべきか。どこへ行くのか。そんな根源的な問いをキリキリと考え詰めていった。彼の作品のまわりに充満する張り詰めた空気の正体は彼の創作に対する緊張感そのものです。
ジャコメッティ自身の残した以下の言葉は、アーティストとしての彼が為したこと、20世紀の美術が追究し続けたことを、端的に示していると思われます。
「ひとつの顔を見える通りに彫刻し、描き、あるいはデッサンすることが、私には到底不可能だということを知っています。にもかかわらず、これこそ私が試みている唯一のことなのです」


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