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「この一枚を観に」 テイト・ブリテン ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう?
同じように、たったこの一枚を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。

今回はロンドンのテイト・ブリテンへ、ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』を観に。


テムズ沿いにある 英国絵画の殿堂

ロンドンではテムズ川沿いを進みさえすれば、名所が続々と現れます。下流から順にたどればタワーブリッジ、大観覧車のロンドン・アイ、ビッグベンを擁する国会議事堂。そしてその先に見えてくるのが、テイト・ブリテン。
テムズの左岸、ミルバンク地区を進んでいくと、ギリシア神殿風の堂々たる建築が目に入ってきます。屋根の上には、イングランドそのものを表すとされる女神ブリタニアの像がたたずみます。ここは、英国の絵画作品を専門に収蔵・展示するミュージアム。角砂糖の特許販売で財を成した実業家ヘンリー・テイトのコレクションを公開する名目で、1897年に開館しました。当初は、ロンドンにおける絵画の殿堂としてすでに名高かったナショナル・ギャラリーの分館、という位置付けでした。

館内には、16世紀から現代まで、英国絵画の名品がずらり。本や雑誌の類でよく目にする著名な作品も続々と出てきますが、そのなかでも一、二を争う人気を誇るのがこちら。ジョン・エヴァレット・ミレイが1852年に描いた『オフィーリア』です。館の正面玄関から2階の中央ギャラリーに上り、向かって左側へ。英国の歴史・文学と関わりのある作品群が集められた展示スペースで、その絵はわたしたちを出迎えてくれます。
対面したら最後、この絵はきっと、どんな人だって例外なく魅了してしまうに違いありません。そう断言できるほど、いかにも万人の支持を得る要素がそろった一枚です。

まずは画面の隅々までを覆う木々と草花が、清新な空気に見る側を誘い出してくれます。じっくり眺めれば小枝の一本ずつ、葉の一枚ずつ、細部にいたるまで描きこまれているのがわかります。花弁に鼻を近づければ香りまで漂ってきそう。画面中央には穏やかに小川が流れ、澄んだ水面を見せています。そこに浮かぶ、ひとりの若い女性。豪奢な、それでいて品のいいドレスが、陽光を浴びて輝いています。気品にあふれた顔立ちも目を惹きます。ただしその美しさには、取り返しのつかない喪失感も含まれます。なぜなら彼女は、すでに息絶えた状態であるのが明らかだからです。
豊饒、甘美にして哀切、そして大いなる物語も感じさせる――。一枚のなかに、これほどたくさんの感情が凝縮して詰め込まれているとは。見る側にさまざまな反応を呼び起こす力が生じてくるのはそれゆえでしょう。

あまりにも英国的な絵画

また、この絵に収められている要素がきわめて「英国的」なものばかりなのも、大きな特徴です。タイトルからもわかるように、ここに描かれている女性の名はオフィーリア。英国文学の至宝にして、もちろん世界文学の最高峰でもあるシェイクスピアの戯曲『ハムレット』から題材が取られています。
ハムレットとの恋に破れ、また父を殺されてしまうという不幸に見舞われた彼女は、ついに発狂し、野原をさ迷ううちに誤って足を滑らせ、川に落ちて溺死してしまいます。
じつはシェイクスピアの原作には、彼女の最期の場面について直接の描写はありません。ハムレットの母・ガートルードのセリフで語られるだけの、ちょっとした挿話という扱いです。それなのに、この悲劇のヒロインの死は、芸術家の詩心を強く刺激するようです。ミレイのほかにも、ドラクロワやドランなど、多くの画家たちがオフィーリアを描いています。そのなかでも、最も広く人の共感を呼ぶ仕上がりとなっているのは、やはりミレイによる一枚です。

ミレイが迫真のオフィーリアを描けたのは、シェイクスピアの世界を彼が深く理解していたということが挙げられるでしょう。また、時間をかけてしっかり準備をしたうえで、人物描写をおこなった賜物でもあります。ミレイはこの絵のために水を張ったバスタブを用意し、モデルの女性をそこに浮かべてポーズをとらせ、写生を繰り返しました。季節は冬。火で水を温めながらではありますが、仕事は長時間にわたります。途中で火が消えてしまい、モデルは冷水のなかを我慢して浮かんでいたといいます。しまいには風邪を引いてしまい、治療費の全額はミレイが負担しました。
題材がシェイクスピア作品であることに加え、背景として描かれている自然もまた、英国らしさにあふれています。シェイクスピアはオフィーリアの死の場面を、柳の木の下でキンポウゲやイラクサやヒナ菊が咲き誇る、小川のほとりとして描き出しました。ミレイも、戯曲中の描写をそのまま生かすよう、画面を構成しています。イメージにぴったりの小川を南イングランドで探し出し、ひと夏かけて写生を続けました。朝から日没まで、ときに風にあおられて川へ落ちそうになりながら、夢中になって英国の自然を筆になじませていったのでした。
英国が誇る文化遺産と自然の最良の部分を、一枚に収めているのがこの絵なのです。英国絵画の殿堂たるテイト・ブリテンで絶大な人気を得ているというのは、深くうなずけるところです。

ミレイ渾身の「青春の一枚」

「英国らしさ」を描ききったジョン・エヴァレット・ミレイは、1829年の生まれ。産業革命を経て、英国が国力を伸張していく時代を生きることとなります。幼少のころから美術の才を発揮し、11歳で早くも、国内で最も権威あるロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学します。いわゆる神童だったわけですが、それゆえでしょうか、伝統と技量ばかりを重んじるアカデミー流の美術には徐々に飽き足らなくなっていきます。
同じように先鋭的な考えを持つウィリアム・ホルマン・ハント、ダンテ・ガブリエル・ロセッティらと出会うと、彼らはおたがいのアトリエを行き来しながら、自分たちが信じる芸術を推し進めます。そうして1848年、総勢7人の仲間で「ラファエル前派兄弟団」を結成しました。「ラファエル」とは「ラファエロ」の英語読み。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶルネサンスの巨匠、ラファエロのことです。ミレイら若き芸術家たちは、現在の美術は範にならないと見なし、ラファエロより以前の中世絵画を目指すべきだとの主張を展開したのです。

流儀の実践として、メンバーたちはそれぞれ作品を発表していきます。ミレイも『両親の家のキリスト』などを世に問いました。しかしこの絵は、当時のアカデミーの基準からすれば、あまりにも写実主義に偏りすぎていました。描かれているのは聖家族なのに、その様子が日常的で生活感を漂わせすぎだというのです。型にはまった描き方を拒否する手法は、なかなか受け入れられませんでした。
それでも、理解者は現れます。当代きっての批評家ラスキンは、ラファエル前派を強く支持します。ラスキンの擁護のもと、ミレイは1852年のロイヤル・アカデミー展に『オフィーリア』を出品。これは喝采を浴びました。若者たちによるカウンターカルチャーだったラファエル前派の芸術が、これを機に広く認められるようになっていきました。
ミレイ自身は翌53年、24歳の若さでロイヤル・アカデミー準会員という地位を与えられ、これを受諾します。作風も、過激さは薄れていき、肖像画や子どもをモチーフにした絵画などで人気を博すようになります。晩年には、アカデミー会長の地位にまで就くこととなりました。

ミレイの長い画業を見渡せば、『オフィーリア』はむしろ、例外的な作風を示すものかもしれません。若い血のたぎりの赴くままに、反骨精神を前面に出して英国美術の刷新を図った時期の記念碑的作品。これはいわば、ミレイの青春の一枚といえましょう。彼が後に作風を転換させたのはたしかですが、それでも『オフィーリア』の画面に込められた熱い思いには、微塵も偽りなどないはずです。ミレイの青春の純粋さと熱気をはっきりと感じ取れるからこそ、この絵は、150年の時代を経た私たちにもこれほど強く訴えかけてくる力を秘めているのでしょう。


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