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「この一枚を観に」 ナショナル・ギャラリー ヤン・ファン・エイク《アルノルフィニ夫妻の肖像》

人はときに、ただひとりの大切な相手と会うためだけに、地球の裏側まで出かけたりもするでしょう?
同じように、たったこの一枚を観るために、どこへでも行く。そういう者に自分はなりたい。

ではロンドン・ナショナル・ギャラリーへ、ヤン・ファン・エイク《アルノルフィニ夫妻の肖像》を観に。


ギャラリー深奥部のささやかな名画

 それは、ほんのささやかな絵といっていいでしょう。サイズにして82×60センチと小柄ですし、ずいぶん奥まった一角に掛けられていますから、足早に美術館全体を見てまわろうとしたときには、目に留まらないおそれだってあります。
 なんとも、もったいないことです。見た目は小さくとも、この絵の画面はまるで別の時空につながっているかのように深遠で、とてつもなく大きな広がりを持ち、完結したひとつの世界観を有しています。「いま・ここ」とは違う世界と出会う機会を失わないよう、道順を確認しておきましょう。
 ロンドン中心部のトラファルガー広場に面して、堂々たるファサードを構えるのがナショナル・ギャラリー。エントランスを通り、展示室のある二階へ階段を上がります。

 二階に着いたら、広場を背にして左側へ。最初の展示室では、思わず足が止まってしまうことでしょう。そこにはレオナルド・ダ・ヴィンチ『聖母子と聖アンナと洗礼者聖ヨハネ』と『岩窟の聖母』が、並んで飾られているのです。
 堪能したいところですが、再訪することとして先を急ぎます。続く展示室にもホルバインやクラナッハがあったりと、目移りすることこの上なし。この区画には、一五〇〇年から一六〇〇年の間に描かれた作品が展示されています。
 なんとか誘惑を振り切って歩くと、建物自体の雰囲気が変わって、異なる区画へ入ったと知れます。ここまでの重厚な建物はナショナル・ギャラリーの本館で、いま通った「一五〇〇年~一六〇〇年絵画」の区画のほか、「一六〇〇年~一七〇〇年」「一七〇〇年~一九〇〇年」エリアがあります。ここから先は本館に比べて、建物がずいぶん新しくなります。「セインズベリ・ウイング」と呼ばれるこの区画、一九九一年に増築してつなげられたものなのです。

「器」としては新しいセインズベリ・ウイングですが、収められているのはナショナル・ギャラリーのなかで最も古い作品群。一二五〇年~一五〇〇年の絵画が集められています。ピエロ・デラ・フランチェスカにボッティチェリと、ここでもやはり興味深い作品が続々と出てきます。
 ここまで時代が下ると、ほとんどの作品は宗教的な目的のために描かれたものとなります。科学的な理論に基づく絵画技法はまだ使われておらず、一点透視図法による遠近法の表現などは見られません。そもそも、平面上に描かれた絵を、三次元さながらに見せようなどという意識はなかったのでしょう。

 この時代の絵を現代の基準に照らせば、ときには稚拙なものと感じるかもしれません。でも、それは一面的な見方というもの。古き絵に囲まれ歩いていると、わたしたちはなぜ写実的な表現にそれほど価値を置いているのだろうかと、疑問を抱くようになってきます。
 キリスト教の教えを説く作品によって敬虔な気持ちが掻き立てられるなか、いよいよ最奥部へ足を踏み入れていくと、周囲の作品とはどこか趣の違う一枚が。現代に通ずる空間表現がなされていて古さを感じさせず、同時に人が神とともに生きていた気高き中世の香りもしっかり漂わせています。
 まるで時代を超えて存在しているかのような作品。ありました、今回のお目当て、ヤン・ファン・エイクの《アルノルフィニ夫妻の肖像》です。

 15世紀、ヨーロッパ北方の町リュージュで活動をしていた画家が残した一枚です。描かれているのは、室内にたたずむ一組の男女。神話や聖書の劇的な一場面を描いたようなものとは違い、題材もサイズ同様にささやかです。それでも、そこはかとない気品と、凛とした美しさが立ち上ってくるようだから不思議です。


読み解き、味わう絵画

 ようやく出会えたヤン・ファン・エイクの《アルノルフィニ夫妻の肖像》、画面をじっくり見ていってみましょう。右手にベッドが置いてあるので、プライベートな空間であることは間違いありません。窓から外光が射し込み、家具や調度品、男女の身体を柔らかく照らし出す親密な室内で、手を取り合う男女。モデルは裕福な商人の夫婦ということがわかっています。
 かれらの直立したポーズはすこしぎこちないでしょうか。でも、ふたりのシルエットの位置とボリュームは、絶妙なバランスで画面内を埋めており、そのおかげで絵には、圧倒的な安定感と静けさが与えられています。
 部屋にはいろんなものが置かれています。床の手前に男性用の、奥には赤い女性用の履き物が脱ぎ散らかしてあります。これは男女が夫婦の契りを結んだことを表すと考えられます。結婚を誓う祭壇に上がるとき、履き物を脱ぐ習慣を象徴的に描いているのです。
 女性の足元には愛らしい仔犬が一匹。こちらは「貞節」の象徴です。右手のベッドはここに夫婦の生活があることを表します。窓際に目を移すと、果物がいくつか転がっています。オレンジの実です。北方のフランドル地方では、温かい地で採れるオレンジを口にする機会などあまりありませんでした。つまりオレンジは富の象徴。男性が裕福で有望な商人であったことを示しています。

 天井から下がった立派なシャンデリアも、男性の財力を表しますが、ろうそくが一本だけ灯されているのが気になるところ。祝婚の意をこうした形で表現するのが、当時の決まりごとだったようです。
 手を取り合う男女の真ん中に位置するのは、凸面鏡です。目を凝らせば、ふたりの人物が映り込んでいます。そのうちのひとりは、作者ヤン・ファン・エイクその人であろうと、美術史家らは指摘しています。ここでは、ふたりというのが意味を持ちます。結婚の証人として必要なのが、ふたりという人数なのです。鏡のすぐ上の壁には、「ヤン・ファン・エイク、ここに在りき」という意味の言葉が、流麗な書体で記されています。結婚の証人が、ちゃんとその場に居合わせたことを示すためにする署名のようです。
 さまざまな象徴的細部が教えてくれるとおり、この作品は描かれた男女の結婚を祝うもの。結婚の証明書代わりとして、ヤン・ファン・エイクが描いたものとの説もあります。
 描かれている一つひとつに明確な意味がある、これはさほど驚くことではありません。当時の絵画とは、そうしたものでした。現代でいえばさしずめ本のページを紐解くように、画面を目で追いながら、少しずつ読み解くものだったのです。

ダ・ヴィンチを凌ぐ? 超絶技巧

 意図された意味をいかに絵画に盛り込むか。それこそ当時の画家の腕の見せどころでした。ただし、この絵の場合は見どころはそれだけに収まりません。細部の意味や絵のメッセージを知らずとも、ひたすら画面の美しさに酔う楽しみ方だってできます。そのあたりが、時代を隔てたわたしたちもが感銘を受ける大きな理由になっているのでしょう。
 とくに、この絵の画面にあふれるさまざまな「質感」には、目を奪われます。たとえば女性の緑色の衣装。しっかり織り込まれた布地の手触りまで感じ取れそうです。男性の濃い茶色の衣装も同様。深みのあるふたつの色の対比も目にやさしく、柔らかそうな襟元と袖元は、極上の着心地のよさを約束してくれています。
 鈍く光る真鍮のシャンデリアと、木製の履き物は、金属と木の硬さの違いまで伝わるように描き分けられています。そして、ふさふさの仔犬の毛並み。抱き寄せたときの感触が想像できそうなほどの描写力です。また、窓から差し込む光がモノに当たる角度や輝き方を微細に調整し、画面全体に奥行きと広がりを与えることにも、この画家は成功しています。

 西洋美術史上、絵画技法を飛躍的に進歩させたのはルネサンスの画家たち、とりわけレオナルド・ダ・ヴィンチとされます。ところがヤン・ファン・エイクは、その半世紀も前にこれだけの達成をしていたのです。先例や方法論に頼ることなく、磨き上げた自身の技術のみを使い、驚くべき絵画を生み出したというわけです。
 まさに、孤高の美ともいうべきたたずまいを、この絵は有しています。その画面は小さくとも、独立したひとつの宇宙がそこに出現しています。どれほど時代が変化しようとも何ら影響を受けることもなく、絵のなかの男女と静かな部屋は、輝きを保ち続けることでしょう。
 当時一帯を管轄していたブルゴーニュ公に仕え、ブリュージュの地に生きたヤン・ファン・エイクは、生年などもはっきりとしないところがあり、生涯が完全な形では伝わっていません。それでも、絵画史上で最も卓越した手業を有した画家のひとりが、十五世紀のブリュージュに存在していたことだけは、この絵画が証明しています。

 さて、アルノルフィニ夫妻との対面を果たしたら、帰路はまたゆっくり名画のなかを巡っていきましょう。それとも、いまは少し生気を奪われがちですから、明日、またはその次の日にでも、もう一度出直してくるのもいいでしょう。一八二四年にたった三八点の収蔵品で立ち上げられたナショナル・ギャラリーは、いまや約二千点の作品を収める巨大な美術館。本腰を入れて見て回るには、相当の根気とエネルギーを要します。
 建物から外へ出れば、そこはロンドンの中心地。トラファルガー広場に人が群がり、道には真っ赤な二階建てバスや黒塗りのキャブが行き交います。大がかりな祝祭のようなにぎわいの光景が、たったいま時代も国も超える旅をしてきた身には、うまく受け入れられないかもしれません。いったい自分はどこにいるのだろうと、わけがわからない気分になってしまったら、先を急ぐことはありません。広場のベンチに座って、少しずつ「こちらの世界」に身をなじませましょう。
 ベンチから振り向き見上げれば、すぐそばにアルノルフィニ夫妻がたたずむ小宇宙の存在が感じられます。その強い磁力に引き寄せられ、またすぐあちらの世界で遊びたい――、そんな気持ちがふつふつと湧いてくるかもしれません。これでは心の混沌がいつまでも収まらない? たしかに。でも、それでいいのです。自分のなかに、いろいろな世界を持つことができる。それこそが、芸術に触れることの効用なのですから。


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