山内宏泰 公式サイト
メディア掲載情報をお知らせ。
あと何冊読めるだろう。 ふとそう思いました。 だから、 本を読もう。 もっと本を読もう。
文学のすべてを、ここに集めるのだ。
創作と編集、その知見をできるだけ集め、まとめ、体系立てるのです。
アートにまつわること、なんでもここに。
その日から四代目は紙に墨をのせ、鶏らしきかたちが浮かんできたかと思えばそれを反故にして、また新しい紙を取り出してきて墨をのせ、ということを延々と続けるようになった。 文字通りほかに脇目もふらず、日々、紙を浪費しまくった。しかも彼は、いい紙を惜しげなく使う。そこはさすが京都錦通りの大店である。四代目が自由に使っていい金子は豊富にあって、紙を買い込んでくることくらいわけもない。 伊藤家としては、当主が商売にまったく精を出さぬはいまさらどうしようもないとして、これで派手に
四代目さんはただの木偶の棒じゃなかったんだ、引き篭もり店主だの何だのと彼を馬鹿にしてきた連中の鼻面に、この絵を突きつけてとくと見せてやりたい。 とユウは思った。 しかも四代目は実物の鶏をチラと見ることもなく、スラスラとこの似姿を描いてしまった、ほとんど妖術使いみたいな芸当ができてしまうんだぞと、声を大にして主張したかった。 そう考えていたら、ユウは思い至った。そうか四代目さんは三年間ずっと庭に放した鶏を見続けていた、あれは鶏を絵に描くための下準備だったのかと。来る
画材を大事そうに持ち帰ってきた四代目を見て、ユウは訝った。 これはいったい誰が使うものなのだろう。まさかご当人が? 彼が絵を描きたいだなどとは、ユウはまったく気づきもしなかった。彼はただ、鶏を見るのが好きな人としか思っていなかった。 よくよく教えを受けてきたのか、四代目は画材を手際よく片付け整頓した。 済むとさっそく紙を広げはじめた。早くも何か描くつもりか。 色とりどりの顔料にはまだ手をつけず、手元に用意したのは墨一色だった。 深く摺った墨をたっぷりのせた
丹波で豆を作っていた家を出て京都の大店・桝源へ奉公に入り、当主のお世話を仰せつかってはや三年余。ユウが顔貌に湛えていたあどけなさもすっかり消えたころ、仕えている四代目伊藤源左衛門が動いた。 庭のもみじの葉の色が最濃の盛りを過ぎた日の午後、四代目は大きな包みを両手でかかえて帰ってきた。ユウの眼にはその姿がいつになく、いそいそして浮き立っているように思えた。他の者はまず気づかないだろう微細な粟立ちではあるのだけれど。 きっと今日も大徳寺に顔を出してきたんだろう。目をかけ
今日もユウは雑事をこなす合間に、縁側から庭の鶏を眺めやっている四代目の背中を、ちらちらと見た。 胡座に頬杖を突き背を丸めた四代目は、いつ眼を向けても身じろぎひとつしない。居眠り中かと見えるが、とんでもない。前方へ回れってみれば、だらしない姿勢に似合わず眼頭にはちゃんと力が入っており、眼球はチラチラよく動き、視覚が活発に働いていると知れる。 眼だけあまりに生き生きしているから、ユウには四代目の首から上が、ただの一個の眼になってしまったかのように感じられた。 だって同
ユウの憤慨をよそに、四代目自身はよくいえば悠々自適、悪くとれば無気力な引き篭もりを続けた。 時折り朝晩の食事をするとき愁いを湛えた目つきをするが、それが家の者たちから軽んじられているのを嘆いてのものか、それともほかの因があるのか、ユウには判別できなかった。 今日もまた陽が上るとともに朝食を済ました四代目は、障子越しに外気を見やって、 「いい日和だな」 とつぶやき、いそいそと鶏小屋の扉を開けに庭へ出た。 とっくに目覚め、四代目の到来を待ち侘びていた鶏たちの興奮が、