現在史1990〜 1990年11月のこと
一九九〇年十一月のこと。
愛知と岐阜の県境近く、山ひとつ削って拵えられた新興住宅地の片隅に一軒の分譲住宅があって、その二階の六畳間で夜な夜な僕は勉強だけしていた。
十八歳で、受験生だった。
平日のルーティンは、こうだ。
まず、高校にはちゃんと通う。学校をあてにせずすべてを予備校に委ねるか、自分で計画を立てるツワモノもいるけど、自分にはそこまでの自信もビジョンもない。生活ペースを保つためだけでも、学校に行く意味はある。
とはいえ、大半の授業では内職に励む。最近はもっぱら世界史をやり続けている。山川の教科書を読んで、ノートをとり、それを丸ごと暗記する。これを全ページ終わらせられれば、どんな問題でも解けるはず。あとは二月の試験までに間に合うかどうかの問題だ。間に合わせるためには時間が必要で、学校の時間をフル活用するしか道はなかった。
授業が終わると、五、六人のいつもの面子でブラブラと最寄り駅まで歩いて、改札横にある大判焼き店で電車一本やり過ごす程度の時間をだべって過ごし、それからそそくさと帰宅する。
夕飯や風呂を済ませると、八時過ぎから自室にこもって、国・英・社の三科目のルーティンをひたすらこなす。取り組む科目を切り替えるタイミングになると、熱くて濃いコーヒーを、片手で支えきれないほど大きいマグカップになみなみ注いで台所から持ち帰り、ガブガブ飲みながら勉強するのが常だった。
そのせいか、日付が変わるころになると判を押したように、廊下を挟んだ向こうにある二階のトイレへと立った。
両親はとっくに寝室へ引き下がっていて、自室以外には灯りも音もない。
暗い廊下を渡って用を済ませ、洗面所で手を洗う。慣れた手順だから目をつむったままでもたどれそう。
タオルを使い終えたところで、初めて顔を上げる。洗面台の鏡に、自分の姿が映っていた。
夏休みに入るころから根を詰めて受験勉強をし続けてきたから、顔がすこし浮腫んでいる。それでも十八歳の肌には疲れの色なんてそうそう浮き出たりはしない。ただ、前よりすこし痩せたかもしれない。
鏡の向こうの自分の瞳を覗き込む。両眼それぞれにハイライトが浮かんでいて、じっとそれを眺めていると吸い込まれるようになって一瞬意識が遠のく。すぐにまた視野が戻ってきたけれど、鏡に映る自分の目つきがキッとなっている。
鏡を、というか自分自身を睨みつけながら、小声だが目の前の空気を切り裂くような勢いで、僕はほぼ無意識にひと息で言葉を吐いた。
「ナメんな。ザケんなっ。見てろよ」
そのまましばらく、身じろぎもせず鏡と対峙していた。鏡の向こうの世界が何らか反応してくれるのを待つみたいに。激情は瞬時に僕へ宿り、また跡形もなく去っていった。
もちろん周りで連動して何が起こるわけでもない。家じゅうが寝静まったままだし、山あいのニュータウン全体ごと物音ひとつ立てていない。
まあいいんだ、そんなこと。世界がどうなるのかなんて知らない。僕はとりあえず、僕の居場所を変えたいだけ。
洗面所の電気を消して部屋へ戻ると、もうすっかり醒めた表情になっているのが自分でもわかる。座っていてもきっと舟を漕ぎ出してしまう午前二時あたりまでは、できるところまでZ会の世界史問題集を進めないと。
フランス革命の進展を問う大問をひとつ、やり終えたい。ジャコバン派、ジロンド派、マラーにダントン……。固有名は暗記したけれど、それらのつながりがまだ整理しきれていない。
何かに衝き動かされたかのような、かつて実在したフランス人たちの行動に脈絡をつける作業にしばし没頭していると、睡魔が急襲してきた。
こうなったら逆らっても無駄だ。勉強机の背後にある小さいベッドに、どうと倒れ込む。
でもすぐに眼は閉じない。枕元のスタンドライトだけを灯して、薄い新潮文庫を手にとり開いた。寝る前の自分に許した、ささやかな自由時間。
文庫は、読みさしのトルストイ『青年時代』だった。(→https://www.yamauchihiroyasu.jp/n/ne3915896a801)
とくにロシア文学が好きというわけでもないし、大学に行ったらロシア文学を学ぶのだといったことも考えていない。なんだっていいのだ。文字を追って、そこに物語が流れているという手触りさえ感じとれたなら。
この自由時間はずいぶん短い。たいていの夜は、ほんの数行読んだだけですぐに眠気がピークに達し、文字列を読み取ることも、そこから意味を汲み取ることもできなくなる。意識が混濁して、すぐ眠りにつくのだ。
今夜は数ページ分、意識が持った。ちょっと引っかかる内容だったから。
『青年時代』はトルストイの自伝的小説で、主人公は19世紀のロシアで大学生の身分にいる。「品のよい人間」になるよう努めるのはまあいいが、肝心の学業にちっとも気持ちが向かない。
最初はそれでも大問題にはならないが、僕が今日読んだのはもう終盤にさしかかったところ。年度末に試験の日が来て、主人公はあっさり落第してしまう。
事態を受け入れられなくて困惑する脳内の描写が、なんだか怖かった。
「わたしは自分の不幸をだれかのせいにしようと努めた。だれかがわざとこんな目に会わしたのだと考えて、自分に対する数々の陰謀をひねりだしてみたり、教授たちや、旧友たち、ウォロージャ、ネフリュードフなどへの不平をならべ、大学へ入れたことに対してパパを恨んだ。」
眠りに落ちながら僕の内側では、主人公の吐露するこの一節が渦巻いていた。
深夜のこの習慣が、将来にまで影響を及ぼすこととなるなんて、このころの僕はむろん知りもしない。
習慣というのは受験勉強のことじゃなくて、眠る間際にほんの数行分だけでもいい、物語の世界になんとか入り込もうとしていたことのほうだ。
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