「セールスマンの死」11   20211009
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「セールスマンの死」11   20211009

 私の乗る新幹線が名古屋駅のホームに滑り込んだ。新鮮な空気が吸えるかと乗降ドアをくぐると、温気を含んだ鰹出汁の匂いがいきなり鼻をついた。ちょうどドアの真正面で立ち食いのきしめん店がやっていて、これでもかというほど辺りに香りを放散しているのだ。

 愛知県人は日頃からきしめんを食べるのかといえばそれほどでもなく、ふるさとの味という認識もほとんどないのに、舌の両脇の奥のほうがじんわり痛くなって唾液が溢れた。

 なるほどこういう生理反応として、素直に涙も出ればごく自然に受け止められるのに。そうしたら自分はべつに情に薄い人間じゃないんだと、自他に堂々と主張もできるのだけどな。
 このままだと「肉親の死に際しても眉ひとつ動かさぬ、情を解さぬ人間」に認定されてしまいそう。それは俳優としての資質を問われるような事態じゃないか。場面にふさわしい表情を表面的につくる技術云々じゃなく、感情そのものやその手前にある情動までも自在に操れてこそ真の役者だろうに。
 そうつねづね考えてはいるものの、いまはどうにも「泣き」につながる父との好もしい記憶が浮かんできやしない。

 そんなことをつらつら思いながら名鉄電車の赤い車両への乗り換えを済ませ、身を揺すられるに任せていると、もう実家に最寄りの終点駅へと着いていた。乗降ドアが開いたとたん、今度は正真正銘の清新な田舎の匂いがした。
 葬儀の開始時間は迫っている。実家近くのこじんまりとしたセレモニーホールへ、まっすぐ向かわなければ。
 タクシーならあっという間に着くはずだが、駅前の乗場には出払っているのか車両が見当たらない。まあいい歩こう、歩きたい気分だとあっさり切り替えた。

 歩き出したとたん、地場の産物たる陶磁器の店が道沿いに並んでいるのに目が留まり、足が止まる。路上にはみ出して大量に並べられたやきものの迫力たるや。
 日常使いにぴったりのいい茶碗や小皿がたくさんある。しかもさすが安いものだな。さすがにいま買ってガチャガチャ鳴る包みを提げていくわけにはいかないけども。

 そうやって道草を食みながらも、時間や目的地をまったく忘れていたわけじゃなかった。頭の片隅に時計は掛けてあって、針の進み具合をチラチラと確認していた。どうやら自分の本心は葬儀の開始ギリギリに駆け込むか、場合によってはすこしくらい遅れて入る算段をしているらしい。

 妻が見たら激怒しそうな態度。そう、出がけにもピシャリと言われたところだった。気が進まない、などとぐずぐずしていたら、
「子どもじみてる。お義父さんのこととなると、すぐそうなる。いいかげん、甘えた気持ちを断ち切ってきなさいよ」
 ずいぶんリアルに蘇ってきたその声が、陶磁店の前を離れセレモニーホールへと歩き出すきっかけになった。


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ライター。アート、写真、文学、教育、伝記など。 著書に「上野に行って2時間で学びなおす西洋絵画史」など。 好物はマドレーヌ、おにまんじゅう。 【Twitter】@reading_photo   info@yamauchihiroyasu.jp