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「みかんのヤマ」 10ふたりぎりの葬送  20211229

 はい。わがままは言いません。
 山のみなさんはどうか宅のこと気にせず、お仕事を続けてくださいますよう。
 農会長のお力で、お達しを出していただけますか。
 ただし身内だけは。線香を立ててこの人を送るお許し、くださいますれば。

 わたしが安置所へ駆けつけてから、初めて聴いた母の声はこれだった。
 農会長は、眼を見開き唇を半開きにしながら、山をあげての葬送は不要という母の言葉に聴き入った。
 お気持ちよく受け止めたと言わんばかりにひとつ深く頷き、眼を閉じてしばし黙考。それからまた眼を開けて、言った。

 痛み入ります。見上げたお方ですな。
 そこまできっぱりと意思がおありなら、その通りにしましょう。
 言われればたしかに、あの男の供養にはこれが似つかわしい。
 いいみかんをつくることに、専念しておられたのだからね。

 そうと決まれば、あとのことは任せてくれ。気を落とさずに。そう言い残して、農会長は御付きを引き連れ安置所を去った。
 山の王の声はすべてリアルタイムで山の人たちに届くのだろうか。彼が室を辞したあとはぴたり、ここを訪れる者が絶えた。

 山で不幸があると、通夜や葬儀はたいていその自宅か山の集会場で開かれる。わたしも何度か連れられて行った覚えがある。山は全体でひとつの大家族みたいなものだから、人が集まれば露骨に喜怒哀楽が現れる。棺の前で大泣きしている人のすぐ傍で、車座になって下世話な思い出話に腹を抱える一団がいたり。
 母は時節柄を弁え、そうしたすべてを辞退したわけだ。農会長がその意思を汲んだ結果、父の一連の弔いは町のほうにある斎場で済ますこととなった。

 山の人は一切来ない。親族関係もなし。若くして鹿児島から出てきてそれっきりの父に近隣の親族などいないのだ。温子さんには家の留守を任せてある。
 それで通夜は、母子ふたりぎりで向かい合い、食事をしただけだった。
 葬儀では、お坊さんの読経を、ふたり並んで黙々と聴いた。


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