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物語のレッスン キャラクターにインタビューすること。そのための設定も付して。

 この世で何かと何かが隣り合わせたとき、そこには必ず「あわい」ができる。
 たとえば夜が明けて朝になるときの、緑色の光が辺りを満たすひとときは夜と朝の「あわい」だ。
 どんなに熱烈な恋人同士でも、各自が個体である以上完全に一体となれるわけもなく、物理的にも心理的にも多少の隙間、つまり「あわい」は生じる。
 そして生と死のあいだにも、やっぱり「あわい」はある。
 人の命が尽きて生が途切れれば、すぐに死の世界に突入すると考える向きも多かろうが、それは正確じゃない。実際のところは生と死のどちらにも属さぬ領域が、わずかながらにあるのだ。
 では生と死のあわいには、何があるのか。
 門、である。
 そう聞くと、
「ああ、『地獄の門』のこと?」
 と知性派を自任する人は言う。ダンテが『神曲』で描写し、ロダンが大量のブロンズを使って立体物として成した、あの荘厳な門を思い浮かべるのだろう。あれってほんとの話だったのか、と。
 惜しいが、違う。地獄の門はダンテの想像の産物であり、彼の創作上の演出に過ぎない。
 生と死のあわいにあるのは、天国の門なのである。
 それは、ごくささやかなものだ。よけいな装飾はない。一階分の高さしかないから、よじ登り乗り越えようとすればできないこともなさそう。
 扉はいつも開いている。いやよく見てほしい、そもそも扉などついてもいない。
 厚みはといえば、十歩も歩けば向こう側へ出られる程度。ただし中途に受付のような窓が付いていて、その横に小さいドアがある。
 今世で命を落とした人は、必ずこの門を通ってあちらの世界へ進む。障害や試練が設けられているわけもなく、ただ歩いて通ればいいのだけど、ただし門の内側の受付にひと声かけるのは決まりだ。
 受付に声をかけると、待たされることなくドアの内側へ通される。こじんまりとした小綺麗な一室に入る。シンプルな木製の机と椅子。促されて腰掛けると、係の者と差しで向かい合うかたちとなる。その相手はたまたまわたしかもしれないし、または他の同僚があたるかもしれない。
 生の世界からあちらの世界へ移る人は必ず、この門のなかの一室で生前のことについてひと通り話をするのである。生をふりかえり、自分にとっての「星の時間」、つまり最も輝きと熱を放つひとときを選びとってもらう。そうしてその一瞬の星の時間を胸に、あちらへと旅立っていく。
 というのも、あちらの世界へそうあれこれ持っていくわけにはいかないのだ。持っていけるのはただひとつの、星が瞬くような想いだけ。あちらでは、その想いとともに過ごす永遠の時間が、約束されている。だから一応は、まじめに星の時間選びをしてもらわないといけない。あとから後悔しても取り返しはつかないゆえ。
 そのためにわたしたちは、門のなかの室で、生命を失くしたばかりの人にインタビューをする。
 どういう加減か、ごく稀に、インタビューの中途で生の世界の側へ呼び戻されていく人もいる。彼らは現世で、わずかに残る門での体験を思い起こして語ることがある。それが「走馬灯」と呼ばれるものの原型になっているようだ。わたしたちの姿をわずかばかり記憶に残している人もいて、それは「天使」と呼ばれたりしているみたい。
 実際のわたしたちは、天使と言われるほどいいものでもないとは思うけれど。それでも長らく門のなかでの仕事を続けていると、どんどん人間という存在が興味深くなってきて、飽きることがない。人間をもっと知りたい、理解したいという想いは、昨日ひとり会い、今日またひとり会いとしているうちに、強くなっていくばかり。
 生あるうちに人が内側に宿す感情の数々とその軌跡ほどおもしろいものはない。わたしはいつしか、すっかり人の感情の虜になってしまっている。いわば「感情コレクター」となって、仕事に精を出している。
 さて今日もまた、門をくぐる人影がひとつ。どんな感情の軌跡を描いてきた人なのだろう。わたしは椅子に深く腰掛けて、調書を開き目を通しながら、室の扉がノックされるのを心待ちにする。


 長らくセールスマンとして勤めてこられたけれど、あるときを境に有能で敏腕なフリをするのはやめた--。内勤への転換を会社に直談判するもクビを切られ、その後に始めた個人宅配業も失敗--。病が発覚して呆気なく生命を落とすものの、人生の最後期に至って魂をようやく思うまま遍歴させようとした--。それで最も認めてもらいたかった家族から、「悪い人じゃなかった」と言ってもらうことはできた--。それが宅井竜馬さん、あなたです。
 あなたの生きた軌跡は、じつに興味深い。意識の流れがひじょうに特異ですから。
 行動や心情がブレることなど、以前はほとんどなかったはず。ソトでは小心、ウチでは尊大というので貫かれていた。それが最期の一週間で、あなたの意識の流れは急にイレギュラーな動きを見せ始めましたよね?
「そう、最後の最後で自分から主体的に動けたのは事実。ただそれは、正直なところ結果論に過ぎませんでしたが。死期を悟って力を振り絞った、といった劇的なことでは決してなかった。
 まあ人間、落ち切ると吹っ切れるというのはあるんでしょう。自分としては、気づくのがちょっと遅過ぎたなと、後悔の念のほうが強いですがね」
 「落ち切る」という実感は、どんなところからきたのですか?
「とにかくセールスの売上が落ちた。というより、最後のほうは実のところいつもゼロだった。売上は立ったがあとから返品があったことにして帳簿上の数字をごまかしたり、切羽詰まれば自分で購入したり、単純に架空の数字を報告したりもしていたものです。隠し通してきたが、もういいかげん覆いきれなくなっていた。限界だったんですよ、いろいろと。
 私は仕事漬けの生活だったから、そこが揺らぐと自分のアイデンティティに直結してしまうんですな。仕事をしているというのが生きている証だったし、仕事上の評価が自分の男としての評価だと信じてきましたから。
 だからたとえ仕事がダメになったとしても、その姿をそうそう人に晒すわけにはいきません。家族に明かすなんてのはもってのほかです。これまで一度として弱音を吐いたり、後ろ向きなところを見せたりなんてしたことがない」
 たしかに家庭では、これまでいつも虚勢を張っていたようで。そして端的にいえば、すこし威張っておられた。
「自覚はなかったですが、妻の凜子やひとり息子の正生に言わせればそうだったのかもしれない。いや実際、家では威張りん坊でしたよ。
 なぜそんなだったかって? 自分の中に『夫はこうでなければ』『父親はかくあるべし』という理想がはっきりあって、それに従ったというか。
 だって夫や父というのは、家庭の柱でしょう? いつも動じず堂々としていなければ、家なんて成り立たんですよ。まあ妻や息子からすれば、求めているのはそんなことじゃないというのが、いまならなんとかわかるんだが、もうしょうがない。
 そもそもウチのは私に付き従うタイプで、何か自分の強い主張があるというのでもない。これは結婚して以来ずっとそうです。何を言っても賛成するというか、決まった意見がないものだから少なくともとにかく同意はする。なおさらオレがいつだって強く正しくあれねばならんという気にもなりますよ。
 息子も小さいころはそりゃなかなか出来がよくって、小学生の頃なんかはちょくちょく神童じゃないのかと言われたりしたものです。
 幼い頃から野球をやらせてましてね。いい線までいきそうだったんだが、ナリが大きくなってくると殻に閉じこもりがちになってしまって、もう野球どころじゃない。何を考えているかちっともわからんのです。
 そのまま今に至っている状態で。三十になったかならないかのときにようやく家を出て定職に就いて、いまはあいつなりのキャリアを始めているんだろうが、引け目を感じるのかなかなか仕事の中身なぞは話したがりません。
 まあ家族がこのような調子じゃ、自分がしっかりせねばいかんという気持ちが増すのも、当然といえば当然じゃないですかね」
 なるほど。それで、ご自身が誇りを持って臨んでこられたお仕事のほうなのですが。学校を卒業されてから、一貫してセールス業だったのですね。
「ええ、セールス一筋。楽しかったですよ。百科事典を扱っていたんですが、これを自分の器量と裁量ひとつで、各戸や団体にどんどん売っていく。何がおもしろいって、人に好かれ、信用されるほどに売れ行きもよくなるってところですよ。いわゆる人間力次第ってわけで。
 私も若いころから、ほうぼうで好いてもらったものでした。地域の顔役たちからもよくいきなり食事に誘われたりしてね。いったんしかるべき筋に好いてもらいさえすれば、あとはもう靴底を擦り減らしたり、喉を枯らしてセールストークなんてしなくたっていい。自動的に大きい果実を得られるってものです」
 いわゆる「セールスの大物」だったわけですね。ただし、最近は……。
「このところは、たしかに芳しくなかった。いや本当を言えば、年をとってからはずっと芳しくない。体調もどうも優れんですし、まったく」
 それでそのまま、揺れる最期の数週間となるですね。ある夜から、これまでは良くも悪くも安定していた意識の流れが、大いに乱れ始める。そのときのこと、詳しく振り返ってもらえますか。
「はい、そうですね。あの夜がまさに潮目だったんでしょう。
 すでにかなり遅い時間でした。高度成長期にできた埼玉の山あいにあるニュータウン、その外れの我が家に私が帰り着いたのは。
 手狭な駐車スペースにバックで車体を滑り込ませるのは、なかなか骨が折れるものです。最近じゃ身体が硬くなって首も回らないし、長い時間運転した後だと決まって二の腕が痺れてくるから。
 それでもなんとか勘に頼って車庫入れし、ヘッドライトを消してエンジンを切る。辺りは真っ暗闇になる。寝静まった住宅街から物音のひとつもしない。
 気づけば激しい耳鳴りがしていました。そういえばさっきから両のこめかみが差し込むように痛い。無理からぬところです、ひどく疲れていましたから。朝から神奈川の営業エリアを駆けずり回り、そのあと長い距離を運転して帰らにゃならんかったのですよ。六十を過ぎた身には辛いものがあります。
 シートに身を沈めたが最後、寝入ってしまいそうでまずい。私は急ぎ室内灯をつけました。眠気覚ましじゃありません。今日のうちに書類を仕上げなきゃならん。
 助手席に置いた愛用のアタッシェケースを開いて取り出したのは「日次営業報告書」。業務終了後、私は必ず日をまたがず書き終えるようにしている。その日の仕事はその日のうちに完結するのがセールスの、というか仕事の鉄則。これは成功の秘訣の第一箇条と言えるでしょうから、ぜひ覚えておくといい。
 売上数と単価、顧客先の記入欄にペン先を持っていったが、その先動かすことができなかった。今日一日の営業を思い返してみる。戸別訪問は空振りばかり、店舗でも担当者には会えずじまい。そういえば注文書を取り出すことなど一度もなかった。日報に書ける数字なんて何もないのだった。
 書類の最下部まで視線を動かすと「売上総計」の欄になる。ここに私はやむなく、「0」と一文字書き付けた。こめかみのズキズキとした痛みが増した。考えるほど混乱しそうだったので、できるだけ何も考えないよう頭を空っぽにして、書類をアタッシェケースにしまい込んだ。
 ともあれ業務は完了だ。アタッシェケースを手繰り寄せて車外へと出る。玄関へたどり着くまでの十数歩のあいだに、こんだ私はセールスマンから家長の顔にならねばいかん。男とはなかなか大変な生き物ですよ。
 ドアの前で右手がポケットを探るも、鍵は見当たらず舌打ちが出てしまう。アタッシェケースを置いて左手でズボンをまさぐり、ようやく鍵を引っ張り出しました。荷を引っ張り込み、靴を脱ぎながら廊下の明かりをつけると、物音に気づいて起き出してきたのか、暗い階段の踊り場に妻の凜子が踊り場で立ちすくんでいて、私は「ひ」と短く叫んでしまった。
「今日お戻りでしたの? もう何日か神奈川のほうのはずじゃ……」
 身体に障りでもと心配する妻の声には取り合わず、私はその場にアタッシェケースを置いて、さっさと部屋に入りました。ダイニングテーブルのいつもの席に座ると、ようやく生き返った心持ちがした。こめかみの奥の痛みがすこしやわらいだ。
 両手で運んできたカバンを部屋の隅に置き、凜子が手早くお茶を淹れます。あっというまに卓に置かれた湯呑みから、顔をしかめたくなるほどの苦い香りが漂ってきた。手をつける気にもなれず、私は起ち上がって自分で戸棚から小ぶりのグラスを出し、焼酎をなみなみと注ぎます。こぼさぬよう電子レンジに収め、スイッチを押す。
 いや、ちょっと温まりたいんだ。さっきも運転中、手足がかじかんで危ない思いをしたものだから。
 自分の口調に言い訳じみた色が混じっているのに自分で気づいて、小さい舌打ちが出てしまう。私の言葉をたいてい鵜呑みにする妻は、
「やっぱり身体にきてるんじゃない?」
 と心配を重ねる。だからといって対策や処方を考え出すつもりもなさそうで、こちらのイラつきが増すだけなのはいつものパターンだ。
 何でもないと言っとろうっ。ちょっと疲れてるだけだ。……死にそうなんだ。
 やはり私はかなり参っているんでしょう。腹立たしさを妻にぶつけたいのに、そこに弱音が混じってしまう。死にそうだというのは、心境を言っているだけではなくて、運転中に実際危ない思いをしたのですよ。
 喉が渇いていちど休憩したあと、ハンドルやペダルの操作が乱れるようになってしまって。まっすぐに走っているつもりなのに、車体が左へ左へと寄ってしまう。知らずスピードも出ていて、気づけばいつのまにかずいぶん道のりが進んでいた。ガタがきているのはクルマなのか私なのか、まったく見当もつかんのです」


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