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冒頭のレッスン キャラ出し・状況出し  「切り札」

 プエド・パサル?
 交代でピッチに入るときはいつもそう唱える。誰の耳にも届かないボリュームで。
 そうしてから、タッチラインをまたぐ。するとピッチ内の芝に右足の踵が触れる直前、どこからか返事が聴こえるんだ。
 アクィ・ティエネス。
 どちらもスペイン語だ。つまりまあ「メイアイカムイン?」「ヒヤユーゴー」という、よくあるやりとりに過ぎない。
 しかしその声が、俺を後押ししてくれる。
 ピッチに立ってプレーすることを、許されて俺は在る。あとはただ、ここで存分に自分を表現すればいい。
 そう実感できて、怖いものなんてなくなる。頭の中がすっきり整理されて、集中力が極限まで高まっていく。
 もちろんフットボールは相手のあるものだから、声を聴けば必ずゴールを奪えるなんて虫のいい話にはならない。すべてのプレーに成功するわけでもない。
 けれど自分の思い描いたプレーイメージを、声を聴いた試合ではかなりの確率で実現できるのもたしかだ。
 自由の利かない足でボールを扱うから、不確実性満載なのがフットボールだ。「イメージ通りにプレーできる!」というのは、いかに稀有な感覚であることか。
 思い通りにいける! という無敵になったような感覚を大事に思うのは、ひょっとすると俺のような「切り札」だけなのかもしれないな。
 なにしろ、俺が授かるプレー時間は常に短い。限りある条件の中、インパクトあるプレーで己を強烈に印象づけないといけないんだ。
 安定した精神状態を持続させ、九十分のパフォーマンスを粒揃いにしなければならない「スタメン」とはメンタリティが違う。
 そうなると、だ。許されてそこに在り、イメージ通りのプレーを披露してピッチ上の神のごとくなる。その歓びに浸れる者は、俺以外にほとんどいないということか。
 タッチラインをまたぐときに心内に響く、「アクィ・ティエネス」の声に打ち震える。そんな体験をほかのプレーヤーが味わっていないなんて、ちょっと驚いてしまうな。


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