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「みかんのヤマ」 17 疑いの眼 20220105


 あの事故以来の記憶が、わたしにはあまりない。

 突如現れた対向車のライトに視力を奪われた。車体左側に衝撃。暗転。以上。
 本当は意識が遠のくまでにすこし間があった気もする。でもわたしは母が座る助手席に目を向けられなかった。ミゼットⅡのチャチな車体の左側がブロック塀にぶつかりひしゃげる感触ははっきり感じた。これじゃ母もペシャンコに決まってる。
 もう嫌だ。手の中に当たり前のようにあったものが、すべて零れ落ちていく。
 これ以上何も見たくない。それで壁にぶつかり車が停まったのを幸い、わたしは意識を半ば自主的にシャットダウンしたのだった。

 次に眼を開けたときは、すでにずいぶん時間が経っていた。いろんなことが知らないうちに進展して、わたしはさらにたくさんのものを失っていた。
 母はこの世からいなくなった。事故の直後には事切れていたと聞かされた。
 ふもとの中学校での日々も、もう望むべくもない。無免許のわたしが運転していたことは当然バレて、「重大なことをしでかしてしまったのだあなたは」と言い含められたわたしは、ありとあらゆる立場の大人のあいだを順繰りに回され、あれこれ聞かれたり聞かされたりしながら長い時を過ごした。
 前の冬の小春日和、窓際の席で完璧な幸福を感じたのなんて、遠い昔のよう。

 みかん山の畠は父がいなくなったときから失っていたけれど、加えてふもとの家に帰ることももはやない。更生という名のもと施設に隔離されて暮らすようになったわたしに、戻るところなどいらぬだろうし、戻ってこられても困るとばかりに、家財は農会長の差配で処分された。家屋もすでに人手にわたっているみたいだ。

 いつもながら段取りがいいことで。でもね。そのご自慢の手際のよさが、あんたの尻尾を捕まえるきっかけになった。皮肉なもんだね。
 わたしはまたそんなことを知らずひとりごちていた。意識が戻ってからのわたしは、周りの声などろくに聞かず、山の王のことばかりしきりに考え続けている。
 そう、わたしは疑っているから。みかん山で生産者として周りの信頼篤かった父が邪魔だったのか、それとも器量がよくておとなしい母を我が物にしたかったか、主たる目的は知らぬけど、山の王、すべてはあんたが仕組んだことだろう? と。

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