月夜千冊 第五夜 『北園克衛詩集』
徹底的なものだけが、徹底的に美しい。
と、ある小説家は言った。
まったくそのとおりだとおもう。
もしも「文学を知的に攻める」と決めたなら、
北園克衛くらいに徹底しないといけない。
北園が詩作を始めた一九二〇年代、海の向こうでは、アンドレ・ブルトンらのシュルレアリスムが勃興していた。
北園がこれに影響を受けていないわけはない。
白い食器
花
スプウン
春の午後3時
白い
白い
赤い
(「記号説」)
北園の詩は一見して、「ああシュルレアリスムを日本の詩壇に取り込んだのね」とおもえるし、それは決してまちがいじゃないはず。
ただ、北園がやったのは、単なるシュルレアリスムの移入じゃない。シュルレアリスムは、北園が詩想を深めるきっかけに過ぎない。そこから彼はずんずん自分の道を進む。
彼が目指したのは、純粋な詩の模索。
詩として、言葉として、純粋とはどういうことか。
そんな難しい問いかけを、終生続けた。
ここでいう純粋さとは、ひとつには、意味に頼らないということ。
彼は言葉を、オブジェ=物質として扱おうとした。
骨
その絶望
の
砂
の
把手
(「夜の要素」)
「の」というひと文字が、彼の詩のなかでは、オブジェとしてたしかな存在感を放つ。北園作品の中の「の」は、とてつもなくかっこいい。
北園克衛詩集
思潮社
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