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読み書きのレッスン 徴(しるし)の発見 再度の「風の歌を聴け」 村上春樹 講談社文庫

 先般「風の歌を聴け」の冒頭を読んで、
「自己陶酔できるだけの強さを持っているのが主人公の条件だ」
 という事実を見つけた。
 もうひとつこの冒頭で知れることがある。
 語り手の「僕」は、書くという行為の不思議さをつらつら述べたあとで、
「今、僕は語ろうと思う。」
 と、宣言する。そうして自分のストーリーを紡ぎ始める。
 この一文こそ、作品のキーセンテンスだろう。いやもっといえば、村上春樹の文学的歩みにおける「やりたいことのすべて」が、デビュー作の冒頭のこの一文に詰まっている。
 思えば村上春樹が、自身のデビュー前に触れていたであろう戦後日本文学は、受け身に過ぎた。「戦後」「安保」「存在の不安」といった状況に感応して、「語るつもりなどなかったが、こんな状況で語らざるを得ない」というポーズをとるものが大半だった。
 そもそも人の行動や考えも、戦後に進歩的になったと見せかけて、状況に反応するだけの受け身に終始していた。だから学園闘争に夢中になった人たちが、卒業が近づくと平気な顔をして髪を切り就職活動できた。
 外発的なものばかりで、内発的なものは何もない。
 それでいいのか? 村上春樹は自問して、みずから「語ろうと思う」に至った。
 彼の文学をディタッチメントと括る向きもあるが、違うだろう。それは表面的な態度に過ぎない。デビュー当初から、彼の文学はコミットメントに貫かれている。
 内発的なものを探して。それが村上春樹の文学テーマだ。


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