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日本百名湖  七 芦ノ湖

 日本地図を俯瞰で見れば、富士山を取り囲んである富士五湖の連なりのうちに、芦ノ湖もあるということになるか。
 東京圏に住む人からすれば、近場のリゾートとして真っ先に思い浮かぶのは日光、軽井沢、箱根であって、芦ノ湖はその箱根観光における終着地のような位置付けとしてある。
 だから湖畔にはロープウェーもあれば大きいホテルもあり、湖面には海賊船の装いに仕立てられた遊覧船が揚々と湖上を渡る。船は箱根観光船と芦ノ湖遊覧船の二社がそれぞれに運航しているほどの手厚さだ。
 それで一帯は充分に開けて、明るい雰囲気に包まれている。ただし、もともとここは、火山帯である箱根の山々の中腹にできたカルデラ湖。
 火山活動によってできた窪地(カルデラ)に水が溜まってできるのがカルデラ湖だ。たいていのカルデラはいったん湖となるが、そこから河川が生じ排水されるなどして、湖は姿を消してしまったりする。
 開けて明るい現在の芦ノ湖が、山深い地にあるカルデラ湖としての顔をまったく失くしたわけではない。栄えている地域の反対側へ回り込めば、太古のままの姿をちゃんと見せてくれる。深い緑に囲まれひっそりとしてある巨大な湖としての佇まいは、なかなか荒々しい。湖としてのサイズが小さくはないから、波の立ち方だって海のように力強い。標高は高いので寒々しさもあり。
 それでも芦ノ湖といえば清澄なイメージが根強くついているのは、ひょっとして一枚の絵の力も多少は働いているか。
 芦ノ湖を描いた作品といえば真っ先に浮かぶのが、黒田清輝《湖畔》。
 湖畔で涼をとる女性の姿、この湖の化身かなとも思える爽やかさ。背景から衣装まで青みに覆われていて、これは画面全体が湖面か湖中なのではと感じられる。
 女性のモデルとなっているのは、照子夫人だ。1897年、黒田は避暑のため、夫人と連れ立って箱根に逗留する。
 ある日、湖畔で制作している黒田を夫人が見に出かけると、
「ちょっとそこの石に腰かけてみてくれ」
 と請われた。その様子をいたく気に入った黒田は、
「よし明日からそれを勉強するぞ」
 と言い、それから一ヶ月ほどをかけて《湖畔》を描き上げた。
 一枚の絵を描くための、ひと月の湖畔滞在。その営為自体がたまらなくいい。
 そして、これは漱石もよくやるけれど、この時代の人が、何らかの仕事をすることを「勉強」と呼び習わす言葉づかいがすてき。
《湖畔》は、夏の高地の涼やかさをよく表している。高地とはいえ日本なので湿度もあるが、湿った感じも画面にはよく出ている。
 描かれた湖面は青緑の微妙なグラデーションを見せてきらめく。モネの睡蓮のように表現されている。実際の芦ノ湖の湖面はなかなか荒々しいから、これはさほど写実にこだわっているわけではなさそう。
 湖面の表し方から、黒田が元来、物語性を好むロマンチックな性向だったんだろうことを思う。

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