五十年間失敗し続けた男 平田靫負伝 十 絶妙な罠 20220313
幕府から薩摩藩へ届いた御手伝い普請の話には、かなりの無理があると尾関尚吾には感ぜられた。
そもそも濃尾平野での治水工事を、薩摩が請け負うということからして不可解だ。地縁も何もないのだし、大河川のない薩摩には治水土木の技術などないに等しい。
濃尾の近隣にある藩にとっても、なぜ列島最南端の薩摩なぞが出張ってくるのか、不審でしかたなかろう。実施されるとなれば、疑心暗鬼といらぬ敵対心だけが醸成されることになる。
内々に示されたという普請にかかる費用が、十万両余りというのも解せない。治水にはそんな大金がかかるものなのか。どんな積算によって導き出された数字なのか明らかにされないので、妥当なのかどうか、尾関はもちろん薩摩の誰も割り出すことができない。
それに、だ。額が絶妙過ぎるのも怪しい。尾関にはそう思えた。
どういうことかというに、いま恥ずかしながら薩摩藩は、六十万両の借財を抱えて苦心に苦心を重ねている。この借金が九十、百という数に達してしまえば、どうしようもない。藩は破綻するのみ。
もし幕府が三十万、四十万とかかる御手伝い普請を命じてきたら、我が薩摩は受託できない。廃藩覚悟で断りを入れるか、反旗を翻して兵を挙げるかのどちらかだ。
が、十万余両の負担と言われれば、薩摩はまちがいなく惑う。藩内の荒くれ者どもは好戦論をぶつだろうし、穏健派は何とか無理に無理を重ねて金子を工面しようとするだろう。
幕府としては、いずれの結論を出されても一向に構わない。刃向ってくれば蹴散らすのみ。薩摩は強藩といえど、藩内が一枚岩にはならぬ状態ならば敵ではない。御手伝いを引き受けると言ってくれば、しかと務めを果たしてもらうのみ。
外様の雄藩たる薩摩へ、倒れる寸前まで負荷をかけるのに、これはまさにうってつけの命令というわけである。
巧妙かつ狡知だ。さすが幕府には、切れ者がごまんと居るものだと、尾関は立場を忘れ感心してしまう。
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