「若冲さん」 13 20211103
墨一色で絵を描いていたこれまでの二年間なら、四代目はすばやく準備を整えると、おもむろに筆をとったものだった。
が、初めて色を用いんとする今日は様子が違った。
眼前に顔料、小皿、筆、そして眼に眩しいほどに白く輝く布。おそらく絹なのだろう。それらを揃えると、懐手にして目を閉じてしまった。
そのまま動かぬこと小一時間。何を考えているのやらと、離れた室の隅で見守るユウは思ったが、いやこれは考えている風情ではない。頭の中の心眼で、何かを見ているのだということが、ありありと伝わってきた。
それでもようやく脳内で絵がまとまったのか、四代目がゆったりと動き出した。
小皿を手に取り、顔料を少量のせて、得体の知れぬ液体と混ぜ合わせ始めた。しばらくすると小皿の中に赤っぽい色が現れた。
それを細い筆で少量そっと掬い取り、筆先を布へと近づけ慎重に降ろす。着いた、と思った瞬間そこに筆は留まらず、ほんのわずかずつだが布の上を滑っていく。そこにはごく短い筆の軌跡が、鮮やかな赤色で示された。
遠くから様子を見つめていたユウは、筆が絹に降りてからまた離れるまでのあいだ、知らず息を詰めてしまっていた。我に返ると呼吸が乱れており、たいそう苦しかった。
どうやら四代目も同じ過ちをしていたようで、一筆描いて絹から布を離してしばらくは、肩で大きく息をしていた。それでふた筆目をふるうまでに、ずいぶんと時間が空いてしまった。
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