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読み書きのレッスン 「セールスマンの死」

 ジャケットの胸ポケットでスマホが着信したのは、帰宅ラッシュの総武快速線に乗っていたときのことだった。
 ん、どこから? いろんな可能性が頭をよぎったけれど、すぐ目星はついた。
 いまどきこんな時間に携帯を鳴らすなんて、かなりの緊急性か親密性を帯びていないとあり得ない。
 この電話は「緊急」のほうと察せられた。
 ただ、タイミングが悪い。乗降ドア付近に立っていたせいもあって、いまは身動きもままならない。胸元がブブブブブと震えるのを、身体を固くしてやり過ごすしかなかった。
 振動が止んで、ようやく息を吐けた。
 発信先くらい確認すればいいのに、しなかった。知らんぷりしているうちは、実際の事も起きていないと信じ込みたかったのかもしれない。
 遠い景色を眺めたくなって車窓に目をやるも、ひたすら暗闇だった。ガラスが反射して車内の様子を映し出している。うっすら浮かび上がる自分の間抜け面と目が合った。
 二週間ほど前にこれとよく似た、ただし数倍は疲れの滲んだ顔を、まじまじ眺めたことが思い起こされた。
 そう先日に、仕事のやりくりをして二日間の空き時間をつくり、急遽愛知県の実家へ帰ったばかりだったのだ。
 父の顔を見ておくために。
 今年に入ってから父は、自宅のリビングに介護ベッドを据えて過ごすようになっていた。見つかった食道癌は手術でいったん克服するも、療養中に肺炎を引き起こして入院が長引き、その間に慢性の白血病を併発しているとの診断も受けた。
 もう万全に戻る見込みはなさそうだった。時節柄、漫然と病床を埋めていることへの風当たりは強く、あとは自宅で緩和療養をということに落ち着いた。
 退院時、主治医の先生に直接話を聞けたので、実際のところあとどれくらいと考えておけば? と尋ねると、
「余命、ですか。そういうのは、ある程度若い人がご病気のときに告げるものなんですよね。
 お父様のように高齢で重篤な場合、余命を数えることはしません。明日急変しても何ら不思議はないですし、それが半年後かもしれないというだけで」
 なるほどそういうものかと納得した。
 そうして先般、かなり弱ってきていよいよだとの連絡を受けた。生きている姿を目にしておくのも息子の務めだろうと、急ぎ帰省したのだった。
 実家に着くと、往診に来てくれている近所の医院の先生と、玄関先で入れ違いとなった。こちらが挨拶とお礼を済ますと先生は、
「いいときに帰ってこられたね。死相が出とるわ。まあもう長くないよ」
 と小声で教えてくれた。


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