「若冲さん」 34 20211124
ふだんは鴨川のほとりに引っ込んでいて、実家・桝源とは没交渉の若冲である。
火急時に顔を出したとて、解決への援軍とみなされないのは当然か。
ただもちろん、先代として気にかけてくれたのなら、ありがたいこと。
気持ちは受け取っておこうと弟の五代目は考え、素直に礼を述べた。
「でもあにさん、まああまり心配しなさんな。市場の皆と何とかするよ。
あにさんの鴨川の住まいまで取られちまうはずあるまい、安心して暮らしておくれ」
そう言って力なく笑い、ちょっと出てくるよと廊下へ出た五代目の顔色は冴えない。
すれ違いざま、兄の肩にぽんと置いた手の肌に張りはなく、荒れていた。
詳しい事情は知らぬが、弟がどれほど追い詰められているかが伝わってきた。
あまり意地を張らぬほうが賢明だろう、行く川の流れには逆らえぬもの。
若冲はそう口にしかけたが、言える柄でも立場でもないと思い直し、沈黙した。
慌ただしく表へ出る弟の背中を、ただ見送った。
そうして自分もそのまま裏戸から出て、まっすぐ鴨川の寓居へと帰った。
年の暮れへ向けて、日に日に寒さが増していく時季だった。
山からの風が冷たい川べりを、あてもなく歩くなどして若冲は毎日をやり過ごした。
錦通りの現況は都度、桝源からの命で若冲に仕えているユウの口から知れた。
ユウの伝えるところによれば、錦の商売仇たる五条問屋町はかなり「攻めていた」。
莫大な冥加銀を奉行所に献納したらしい。別口で要所要所には賄賂もたんまりと。
どうやら京の市場を、本気で独占しにかかっている。
攻勢の効果はてきめんだった。年が明けると錦市場は本当に機能が停止した。
若冲の弟たちの奮闘虚しく、お上による営業禁止措置が容赦なく発効したのだ。
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