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第十七夜 『オーウェル評論集1 象を撃つ』

 ディーセントであること、すなわち品のよさを保つこと。それを生きる規準にしていたのがジョージ・オーウェルという人。

 政治告発を寓話にくるんだ『動物農場』やディストピア小説『一九八四年』といった、代表作と目される作品だけを読むと「ディーセント?」と思わないでもないけれど、評論集『象を撃つ』に収録の代表的エッセイを読めば「うん、ディーセント!」となる。

「絞首刑」という一編は、オーウェルがビルマで警官として過ごしていた時代の思い出が語られる。

 その日は朝から囚人の死刑が執行されることになっていた。

 監房から引き出された男が、絞首台へと歩かされていく。衛兵に両肩を掴まれながら、ひょこひょこと進む。その男は、

「途中の水たまりを避けようとして、ちょっと脇にのいた」

 そんな些細なしぐさを目にして、オーウェルは気づく。この男は生きているぞ、我々とまったく同じように。それなのに、あと2分もすれば、

「ガタンといって、われわれのうちの一人が消えてしまう 精神がひとつ欠け、世界がひとつ欠けてしまう」

 盛りにある生命を突然断ち切ってしまう不可解が、そこに転がっているとオーウェルは感じた。

 でも、オーウェルの思いなんて現実には何の影響も与えない。あっさりと刑は執行されて、おしまい。ひと仕事終えて重荷を降ろした官吏たちは、たわいもない会話にどこかわざとらしく笑い合うだけだった。

 エッセイのおもしろさとは、事実が語るところにある。自分の体験を、嫌悪や激情に流されることなく、丁寧に書き記しておく。自分や人類の精神の糧とするために。これぞディーセントな態度だ。

「なぜ私は書くか」という一編もある。

 暮らしを立てる必要を別にすれば、書くということには、四つの大きな動機があるとオーウェルはいう。

1、純粋のエゴイズム。賢い人だと思われたい、人の話題になりたい、死んでからも覚えていてもらいたい、自分をバカにした人を見返してやりたい、その他の欲望。

2、美的情熱。世界の美しさ、言葉とその食い回せの美しさを感じること、これは重大で他の人たちも逃してはいけないと感じる経験を他人と共有したい欲望。

3、歴史的衝動。物事をあるがままの姿で見たい、本当の事実を見つけて後世の使用のために蓄えておきたい欲望。

4、政治的目的。ここでいう政治的とは広い意味であり、ある方向に世界を押していきたいという欲望。

 書く者の心内には、これらが混ざり合ってある。そうしてオーウェルは、

「この十年間を通じて私がいちばんしたかったことは、政治的著作をひとつの芸術にすることだった」

 と述懐する。

 そうだ、どんな書きものもひとつの芸術にする気概、それこそがディーセントなオーウェルをかたちづくっている。

いつだってオーウェルは、もって範としたい人の筆頭だ。


ジョージ・オーウェル評論集1 象を撃つ

ジョージ・オーウェル

平凡社ライブラリー

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