五十年間失敗し続けた男 平田靫負伝 9 そんな仕事を請けてはいけない 20220312
自身の上司が暗愚であることを、尾関はよくよく承知している。
そして同時に、自身はそのことをとくに苦にしていない。
薩摩という雄藩の士として生まれたからには、大きな組織に身を置き殿に仕えるのは必定。その際どんな人物が上に就くかは、本人の預かり知らぬところである。
誰のもとで働くにせよ、自分が本分をまっとうすればいいだけの話だと、尾関はすっぱり割り切っている。
どころか尾関は、平田にむしろ感謝の念を抱いている。とりたてて強い地縁・血縁もない自分をこうして引き立てて、仕事を任せてくれているのだ、それだけでありがたい。
気性の激しい荒くれ者ばかりの藩内で、理が勝る尾関のような者への評価はどうしても辛くなる。腕力や威勢にものを言わす向きには、尾関の存在が煙たくしゃらくさいと映るのだ。
平田は違った。自身が血生臭いことは苦手で、何事も穏便に済ませたい性質ゆえ、尾関のような人物のほうが何かと御しやすいのだろう。それで平田は尾関を腹心として扱い、尾関は仕事に打ち込むことで恩に応えた。
その一環として今宵も、上司平田の参加する議の行方を、控えの間から襖越しに熱心に追いかけているのである。
話し合われている内容は、相当に重大なものだった。職務上は冷静に記憶と記録をすることに努めねばならないのだが、行き交う言葉を聴いているだけで、気分が塞いでいくのを尾関は感じた。
幕府から届いた、木曽三川治水に関する御手伝い普請の要請。これにどう返事をするかが、先より取り沙汰されているのだった。
組織の末端にかろうじて身を置く自身の思いなど、ゆめ仕事に差し挟むべきではない、そう心得ている尾関だったが、このときばかりは心の声を押し殺すのに難儀した。
罠だ。見え透いている。決して唯々諾々と請けてはいけない。
襖を押し開いて、そう声を上げたかった。
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