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読み書きのレッスン 徴(しるし)の発見 「家族写真」辻原登 河出文庫

徴(しるし)を見つけるのだ。
ジャンルの徴、作者の個性、作品の特性が、作品のどういうところに、いつ、現れるかを見つけたい。
そのための「読み」。


「家族写真」辻原登 河出文庫

「役場の収入役、谷口の長女が県立高校の分校を卒業して、松川電器門真工場に就職することになった。」
 というのが冒頭の一文。長女が働く工場は、彼らの住まいからずいぶん遠いという。その説明をひとしきりしながら、家族は紀伊半島の田舎で暮らしていることが簡潔に明かされる。一ページ内に半島の地図をくっきり浮き彫りにするこの手際の良さ。
 そこから次の一文で、話を動かしていく。
「玉緒が出発する前日、父親が急に、町の写真館へ記念写真を撮りに行こうと言い出した。」
 家族のうち、父親だけが何かに焦っているような雰囲気もここに滲み出る。和んだ雰囲気でお出かけをするのに、父親はどこか緊張感を漂わせているのだ。
 写真館で撮影という段になると、慣れないことゆえみんな表情が硬い。
 そこで館主が、
「心のなかで、わたしはしあわせ、といってみてください。さあ」
 と促す。ちょっと変だなと思うけれど、家族は従う。
 だが父親だけは、館主の言葉に敏感に反応して、暗い気持ちになる。
「あんな言葉は、ほんとうに口にしたら、ろくなことがない。もし、悪魔にでも聞かれてみろ……」
 帰りのバスでそんなことをぶつぶつ言うのだ。
 家族が同じところにいて、同じことをしていても、見ているもの感じていることは、微妙にずれているものと思い知らされる。
 思いついてしまった悪い予感が的中したかたちか、父親はしばらく後に事故でこの世を去ってしまう。
 まるで自分の悪しき考えに押し潰されて死に至ったように見える。
 が、そうじゃなかった。事故と時を同じくして、長女は新しくできた恋人と小旅行中で、「あたしはしあわせ」と口にしてしまっていたのだった。父親が恐れ避けようとした呪いの尻尾を、娘が無意識に踏んでしまったわけだ。
 日常に潜む破綻のタネ、近しい人同士の間にも生じる分かり合えなさ、破滅へ一歩ずつ否応なく進んでいく焦燥。そういうものが、行を重ねるごと積み重なっていく。ジャンルを指し示す明確な一文があるわけじゃなくとも、これは「家族ものに見せかけたサスペンス」小説だ。
 この作品でサスペンス性を生み出すものは、言葉である。日本で古くから言霊と呼ばれるような、言葉の魔術的な力。それが一話を進めていく原動力になっている。言葉という記号を積み上げるだけで、これまでにはなかったあたらしい世界をあらしめてしまう、小説というものの摩訶不思議さをも、この短編は表している。


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