「若冲さん」 31 20211121
錦通りで若冲に声をかけたのは、桝源で働く中堅どころの男だった。
たしか、寓居で若冲の世話をするユウと同時期に、店へ奉公に来たのだったか。
その小僧がいまや、若冲が家督を譲った弟・五代目伊藤源左衛門の右腕である。
店の屋台骨を支えるそんな働き盛りが、昼日中に通りをふらついているのは奇だ。
「いえ、ほうぼうで相談ごとをしてきた帰りでして。
それより先代。今回のこと、お力になっていただけるので?」
と息を切らしながら畳み掛けてくる。
相国寺にすべての絵を寄進し、ここまで無心で歩いてきただけの若冲である。
錦通りが慌ただしい理由もわからぬし、何を言われているかもさっぱりだ。
「まさかご存知でない?」
そう問われても、「ふむ、まったく」と若冲は、素直に小声で応えるのみ。
桝源の中堅男はいったん言葉に詰まったが、すぐ語を継いだ。
「ははあそうでしたか。いえもう桝源どころか、錦通り存続の危機でございます」
この浮世離れの惚け顔め、とでも言いたげな素振りはいったん内に押し込めた。
そうして若冲に、事情をイチから噛んで含ませた。
要は錦通り市場が丸ごと、お上から営業停止を食らう瀬戸際に陥っているのだ。
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