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第二十七夜 「テレーズ・デスケルウ」 モーリアック

 偏りを承知で言ってしまえば、フランス文学といえば恋愛ものだ。フランスでは小説が書かれるようになって以来、恋愛こそが中心テーマとして扱われ続けてきた。まあそこは日本文学も似たところがあるけれど。『源氏物語』の昔から、日本の書きものの主題になってきたのは恋愛ごとだった。
 なんで恋愛というテーマは、文学においてこんなにもてはやされるのか。
 文学が描き出したいのは人情であり、その感情の機微が最もわかりやすく表に出るのが恋愛だからなんだろう、きっと。
 偏りついでにもうひとつ言えば、フランスで恋愛ものといえばモーリアックである。
『テレーズ・デスケルウ』では、男を毒殺しようとした女がいて、それがなぜなのかちょっと判然としない。人には伝わらないだろうからと女はすっかり説明を諦めているが、心のうちで理由ははっきりしている。相手の男が、
「生涯に一度でも、他人の場に立ってものを考えることのできない男」
 だったからだ。そう気づいてしまったが最後、その事実に蓋をして日常に埋没していくことが彼女にはできなかった。
 終盤で男女はこんな言葉を交わす。
「あなたのような人間は、いつも自分の行為の動機がわかるのね」
「もちろん。少なくとも自分ではそう思っている」
「私、どんなにあなたに何もかも知っていただきたいと思ったかしれません。〜 でもあなたに説明できるあの行為の動機は、わたしが口にだせばみんな嘘にしかみえないんです。わかってくださるかしら」
 感情の解像度についての、あまりに大きな隔たりが、男女のあいだに越えがたい溝をつくってしまったのだ。
 恋愛における齟齬は、いやあらゆる人間関係の葛藤は、自分と相手の感情の見方・読み方の差異によって生じるんだ、そうモーリアックが教えてくれている。

テレーズ・デスケルウ モーリアック 講談社文芸文庫


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