第十九夜 『読書について』 ショウペンハウエル
「読書とは他人にものを考えてもらうことである」
上のように19世紀の哲学者ショウペンハウエルは喝破する。
読書なんてしてると、自分で何も考えなくなるよね、というのだ。
それでだんだん、自分の思考は張りを失っていくのだと。
「精神は、他人の思想によって絶えず圧迫されると、弾力を失う」
じゃあ本なんて読まないほうがいいのかといえば、そうでもない。
いいものを厳選して、よくよく考えながら読むといいそうな。
「熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる」
「食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである」
箴言の大家たるショウペンハウエル、やはりうまいことを言う。
彼が強調するのは、とにかくみずから思考せよ、ということ。
「我々が徹底的に考えることができるのは、自分で知っていることだけである。知るためには学ぶべきである。だが知るといっても真の意味で知られるのは、ただすでに考えぬかれたことだけである」
読書や学習は、思索をよりよく回すための道具である、という位置づけといえばいいか。
徹底している。ぐいぐい押してくる。さすがは「啓蒙の時代」の人物。
こうなると、彼自身のキャラクターが気になり出す。直接、話を聞いてみたいな。きっと何を訊いても、すぱすぱ答えてくれるのだろうな。
読むことをめぐる本はいつの時代にもたくさんあって、最近なら、高橋源一郎『「読む」ってどんなこと?』、國分功一郎・互盛央『いつもそばには本があった』など。
どちらも本に憧れ、読むことこそ生きる支え、というスタンス。ショウペンハウエル的頑固親父の断言口調とは、ずいぶん違う。あれはやっぱり、時代の産物という側面もあろうか。
読書について
ショウペンハウエル
岩波文庫
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