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「みかんのヤマ」 16 躍り出る対向車 20220104

 一日の最後、日付が変わるころ。車で町まで出るのがわたしの日課になった。

 母を乗せた帰路は、一段慎重に運転した。頭痛や胸焼けを始終抱えた母は、ギアチェンジやブレーキが滑らかにできず少しでも揺れてしまうと、暗い車内で彼女は決まって顔をしかめる。そうならないよう気を張った。
 
 だからわたしに慢心などなかったはず。夜になっても蒸し暑かったあの夜も、わたしは町の端までミゼットⅡを走らせて、勤め終わりで生気のほとんど残っていない母を、いつも通りにピックアップした。
 来たときと同じ海沿いの細い道を引き返しながらふいに、しばらく学校に行ってないことが頭をよぎって、口の中が苦くなった。でも、夏休みに入ってしまえばそんなこと気にせず済む。もうすこしの我慢だと思ったその矢先。
 わたしの視界が、一瞬にして真っ白になった。
 
 何が起きたのか。すべてが光に包まれて、前に進めばいいのか後ろに退けばいいのか、もがくべきかそれとも息を潜めなければいけないのか、さっぱりわからない。混乱のなかでわたしがしたのは、三速に入っていたギアをニュートラルに戻すことだけだった。
 次の瞬間、車体の左側にとてつもない衝撃を感じた。ベリベリと硬いものが無理に剥がされる嫌な音が響く。白い光の塊がわたしの右手をすり抜けていく。

 そうか対向車だ。細道に似合わぬ巨大な黒いバンの車体が、視界の右手をよぎって消えた。
 この道で他の車に出くわしたことなどなかったから、完全に油断してたな。それにしても集落であんな車種、見かけたことがない。ああでもそういえば、農会長の車庫にはあった。山の他所の人らとの付き合いに使う「公用車」と呼ばれるのが。こんな時間にすれ違うなんて、偶然が過ぎるというか運がないというか。
 どうでもいいことを考えているうち、意識が遠のくのを感じた。胸がやたら痛い。それが身体をハンドルに強く打ちつけたからか、それとも自分の境遇を恨む気持ちが込み上げてきたせいなのかは、よくわからなかった。

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