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「みかんのヤマ」 15 夜中のミゼットⅡ 20220103

 夜になると町へ仕事に出る。日付が変わるころようやく家へ帰り着く。

 そんな生活が定番になった母だった。
 引きずられて、わたしも夜が遅くなる。それでますます学校から足が遠のいた。
 母子ふたり、陽が出ていてもカーテンを引いたまま過ごす時間は、どろり爛れた沼に浸かっているような感触だった。

 始終頭痛や胸焼けを訴える母は、日がな毛布を頭から被っていた。母から怒鳴られたり手をあげられることはなかった、それでもわたしは彼女の機嫌を損なわぬよう、いつも顔色を窺った。それで先回りして苦痛を取り除いてあげられるわけでもなく、わたしはただじっと動かず気配を消すだけなのだけど。

 ふたりどちらかお腹が空けば、母がバッグに忍ばせいつも店に携えるタッパーを引っ張り出す。前夜の残りものや客の差し入れをそそくさと詰め込むだけなので、中身はまったく予想がつかない。この前はおでんが大量に入っていたし、大きいモンブランのまわりを柿の種が埋め尽くしていたこともあった。
 
 しばらく経つと、わたしに仕事があてがわれた。母を毎晩、町の隅まで迎えにいくのだ。当初は何人かの同僚を乗せた店の車が、それぞれの家近くまで送ってくれた。でも、ひとり極端な外れに住む母はだんだん煙たがられ、ついにあとは自分でどうにかしてと言い渡された。困り果てた母は、わたしに白羽の矢を立てる。
 夜中にわたしがどうやって迎えに? そりゃあ、車で。うちの軒先には、父が仕事で使っていたミゼットⅡという極小軽トラが停めてある。それを運転して町へ出て、頬を染めた母を拾い上げ、山のふもとの家へと帰る。

 免許? 十五歳のわたしが持っているはずもない。でも崎の海沿いの道を進んで、町の入口で母をピックアップしたらまた引き返すだけだから、問題はなし。対向車に遭ったことなどないし、大してスピードを出す必要もない。山じゃみかんや農具をちょっと畠まで運んでくれなどと、運転させられることはちょくちょくあって慣れたものだ。

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