
月夜千冊
あと何冊、読めるんだろう。
ふと、そうおもいました。
読みたい一冊、積ん読にしているもの、既読なのにどうも消化した気分になれない本、もういちど体験したいあの読み味。そういうのがぼくのなかにはたくさん、たくさんあります。
それなのに。
あたりまえだけど、生にはかぎりがある。
「晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う」
と、晩年の山田風太郎は言いました(『あと千回の晩飯』朝日文庫)。
どうなのだろう。ぼくが読める冊数はいったい、あとどれくらいなのか。
山田風太郎の晩飯と同じくらい? さすがに、も少し多い? こればかりはわかりません。
ともあれ、本を読もう。
長田弘に倣って、
「もっともっと本を読もう」
(『世界は一冊の本』みすず書房)とおもいます。
内容への関心もさることながら、
読んでいると、いつだっていい時間を得られます。
どうせなら自分の生を、いい時間で満たしていきたい。
そのためにも、読むことをやめないように。
本を読むのに適しているのは、たとえば、月が出ているとき。
月夜は静謐で、気持ちが澄んで、同時にどこかもの狂おしくもなる。
なにやら、内側から活発になる感じがあって、読むことと相性がいい。
中原中也は、うたいました。
「ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。」
と(『湖上』)。漕ぎ出したい気持ちはよくわかる。ではぼくは、空を見渡して月があったら、ページを開いて本の世界に出かけたい。
松岡正剛の顰に倣い、「千夜千冊」ならぬ、
「月夜千冊」の、はじまり。