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「完璧の誕生 〜レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿発見顛末〜」 2 《モナ=リザ》のための第一日 〜羽振りの良い家

 覚えず長く続いた我が生涯から、たった三日を採り出しここに語ろうと思う。
 どんな三日間か。《モナ=リザ》と呼び習わす肖像画の創造に要した日々である。
 省みても何も為し得なかった我が身とはいえ、微かにでも世の真理へ近づかんと真摯に願ったのだけは確かだ。
 「もがき」のせめてもの証は、今際の際まで手離さなかった一枚の絵に込めたつもりである。この世における唯一の完璧なるもの、そして最大の謎はといえば我らが生命。これがどこより来たりてどこへ去り行くのか。画面上で探究するは技芸家の務めと任じた次第にて。
 探究の過程で要となった三つの日付を順に開陳するのだが、これはここアンヴォワーズに安息の地を与えていただいたフランス王フランソワ一世様の求めに応じてのこと。
 発した一言一句の余さずは、王の信厚き附き人サラ様が書き留めてくださる由。その献身と労苦に心より感謝の念を述べたい。
 ではさてまず戻るべきは、今より十五年前。一五〇三年のことである……。

「これほど近くドームと鐘楼が望めるとは! 絶景ですな、うらやましい」
 多少のおべっかは混じえたが、心底驚いた。
 久しぶりに肖像画の注文を受け、勇んで出向いた宅は意想外に豪奢だった。建築から調度品まで、その場のすべてが上等と一見して知れる。
 そしてこの窓外の光景たるや。フィレンツェの象徴たるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が、間近に迫る。
「いえ滅相もない、レオナルド様にお褒めの言葉をいただけるとは望外の歓び。次に来た客人に吹聴してもよろしいですかな?」
 家の主人フランチェスコ・デル・ジョコンドが、如才なく言葉を返した。
 一代でトスカーナ最大の絹商人となった傑物である。大聖堂裏のストゥーファ通り、こんな一等地に屋敷を構えるのは民間人として異例の栄達だろう。
「このたびは妻を描いていただきたいなどと、巨匠に無理なお願いをいたしまして。
 リザヴェータも、しかと務めを果たす所存ですので。なあ、リザ?」
 主人の言葉を受けて、
「はい、畏れ多いことですが……」
 と丁重に挨拶する妻リザヴェータは、見たところ夫よりひと回り半は若い。そしてずいぶん細身である。すでにふたり男児を産み育てていると聞いたが、とてもそうは見えない。
 小柄なるも調和のとれた肢体……。しばし見入ってしまったが、彼女からすれば値定めでもされるような時間だったかもしれぬ。
 気を取り直すように彼女が尋ねてきた。
「ところで身に着けるものは、本当にこれでよろしいですか? 決して新調などせず、袖を通したことのあるものをというご指定でしたが……。
 それに、窓の覆いの具合もいかがでしょう? 北向きの窓だけ開け放ち、南向きのは覆いでもかけてくれとのご指定でした」
「お召し物はたいへんよろしいかと。衿にレース編みを施した漆黒のドレス、さすが旦那様のご商売だけあってモノがいい。シンプルなものと合わせたほうが、若い肌は引き立ちます。
 窓の具合もけっこうです。絵を描くときに南からの強い光は禁物なのです。モノの色かたちを正しく捉え画面に定着させるには、濃やかな北から挿す光で見るのが必須でして」
 いかにも専門家らしい理屈とこだわりを、出会い頭にちらつかせておいた。
 謙虚で大らかだが、仕事の質に関わることでは一切の妥協なし。そんなセルフイメージを夫妻へ植え付ける必要がある。そのほうが仕事は円滑に進むと、経験が教えてくれる。
 とりわけ今回の仕事は、ご破算が許されぬ。万全を期したい。
 その理由は端的に、懐の事情である。
 前年までは、よかったのだ。当代きっての軍人チェーザレ・ボルジアの隊に招じられ、一年を通して軍事土木技師の任で遠征に赴いた。これが安定した身入りとなった。
 対して今年はもう遠征がない。定期収入がなくなり、先月から銀行に預けた貯えを取り崩す有り様。
 ここはひとつ絵で稼がねばならぬ。依頼主とモデルの心をしかと掴み、着実に筆を進めて一刻も早く納品すべし。羽振りのいいこの絹商人ならば、支払いが滞ることもあるまい。
 しかし、それだけじゃない。そんな算段の他にもうひとつ、大きなしこりが我が心中に居座っていた。それは、
 汚名を返上したい! 
 の一念である。
 もう、耐えられないのだ。口さがない奴らに罵られっ放しでいるのは……。
 フィレンツェに街のあちらこちらで、連中に何と呼ばれているかはよく分かっている。
「描けない画家」
「口先だけ野郎」
 果ては、
「最後までイケぬ奴」
 街ですれ違う者は皆、そんな目でこちらを見る。
 それを思うと、脳内が沸騰しそうになる。
 そうまで言われるほど、ろくに絵を完成させてこなかっただろうか? しかと成功に導いたことだって、これまでにあったではないか。
 たとえば、あれは十年ほど前だ。ミラノで描いた《最後の晩餐》。反響はずいぶん大きかったはず。あの喝采は、フィレンツェの民の耳にまで届いたことだろう。
 それからあとは……。あと、は……。
 んんむ? なんということだろう。他に、は……。
 完成に漕ぎ着けられた仕事を、俄かに思いつけない。
 サン・ドナート修道院からの依頼で描き始めた《東方三博士の礼拝》は、どうしたのだったか。下絵を公開すると出来栄えが評判をとり、見物人が溢れた。しかし、それっきりだ。己の心をもう一度その絵に振り向けることはしていない。
 数年前には、無原罪の御宿り信心会から《岩窟の聖母》の発注を受けた。これは大作になるぞと心したつもりだったが、今に至るまで我が心内で「構想中」の看板が掲げられたまま。
 こう改めて辿ると、我に仕事の成果はほとんどなし。こんな仕事量で、よく技芸家として名を保っていられるものだ。
 これでは、口さがない一味が出てくるのもむべなるかな。然るべき人物に取り入る政治力か、下絵でもよいから適宜披露し関心と話題を繋ぎ止める処世術に長けているだけではないのか。そう思われてもしかたがない。
 その場の空気や相手の身分に応じて、それなりの挙措がとれるほどには世辞に通じているのがまたよろしくない。いかにも世の表層をひょいひょいうまく渡っていると見えてしまう。
 最近じゃ比較対象の若手も台頭しているゆえ、この「軽さ」が悪目立ちしているだろう。ローマで超絶技巧の彫像《ピエタ》を完成させ、意気揚々とフィレンツェへやって来たミケランジェロ・ブオナローティ。彼など少々目立っているようだな。
 無骨で口下手だが、実力は折り紙付きの若きホープ。彼の人気が上がるにつれこちらへの風当たりが強くなっていることは、肌身に感じるところだ。
 先般はフィレンツェの街頭で、我が苛々の最高潮となる一事が起きてしまった。


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