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「セールスマンの死」10   20211008

「すぐ疲れるでいかんわ最近は。まったく……」

 と言い残して、父は便所を使ってそそくさと寝床へ入った。
 台所で母が洗い物をする音がして、それが止むと辺りはしんとした。

 私はといえば、寝付けそうにない。小学生のころから使っている勉強机の前に座って、熱くなる頭を持て余した。
 父の物言いはいつもあんなものだ。ふだんは言葉少なで口下手なのに、酒が入ればとたんに気が大きくなって溜め込んでいたものを吐き出してしまう。それじゃあ相手を慮るような対応が期待できるはずもない。
 だけど……。酔ったうえでのことだからといって、息子を下げて自分を上げるような口ぶりが許されるのか? こんなことが続くなら、とうていやり切れない。

 勉強するしかないな。いま自分が受験生なのはこれ幸いだと思った。昨日の父の放言に、微かな突破口はあったのだ。「早稲田や慶應に行くというなら許してやる、卒業して帰って来れば上様だから」と、彼は間違いなく言っていた。
 周りで東京の大学に行った者なんて見たことも聞いたこともないのだから、そういうのはテレビや新聞のなかだけの夢物語とでも思っているんだろう。自分だってそうだ。
 ただし日本の受験はありがたいことに、機会だけは平等にできている。試験で点さえとれば、なんとかなるわけだ。勉強するとここから脱出できるというなら、そりゃやるに決まっている。早稲田でも慶應でも合格してしまえばいい。

 考えていると手足の先が火照ってきた。しかし口先だけでは父の二の舞いだと思い、とりあえず世界史の教科書でも開いてみた。学校の授業ではちょうどフランス革命をやっているところだ。ジャコバン派にジロンド派、マラーにダントン……。どれもまったくうろ覚えだったが、こういう単語を丸ごと記憶してつながりも覚えさえすれば、家から脱出できるわけだ。そう思えばやる気が漲った。

 しばらく教科書と首っ引きになっていたが、さすがに睡魔が襲ってきた。机を離れ便所に立つ。狭くて古いそこにはさっき父がここを使った痕が感じられて、嫌な気分になった。
 そそくさと出て洗面所を使う。手を洗い蛇口を閉めてタオルを使い終えるところでふと顔を上げると、洗面台の鏡に自分の姿が映っている。
 私はおもむろに鏡を睨みつけ、小声で言葉を吐き出した。
 ナメんなよ。フザケんなよ。見てろよっ。
 そのまましばらく鏡と対峙した。鏡の向こうの世界が何か反応してくれるのを待つみたいに。
 もちろん何が起こるわけもない。家は寝静まったままで、ニュータウン全体も物音ひとつ立てなかった。

 私は醒めた表情に還り、四畳半の部屋に戻ってすぐ床へついた。意識はすぐ遠ざかっていった。
 これが私のルーティンになった。寝落ちするギリギリまでブツブツ唱えながら国英社三科目の教科書を丸暗記し、もう限界となると便所に立ち洗面所で鏡を睨みつけ、
「ナメんなよ。フザケんなよ。見てろよっ」
 と凄んでから死んだように眠るのが、次の春まで変わらぬ習慣だった。

 そうして誰も想定していなかった東京の大学からの合格通知を得て、私は家を出た。学費は奨学金を、東京での住まいは県人会をなどと、使えそうな社会制度はフルに用いた。
 そこまでして入った大学で勉学に勤しんだかといえばまったくそうではなく、すぐに演劇同人に加わって芝居の道へ流れていったのは、これも父への反発の一環だったか。
 卒業が迫ってもまともな就職口を探そうとせず、芝居を続けると親に告げたときは当然理解を得られるはずもない。
「勘当だわ」
「上等だ」
 という売り言葉と買い言葉が、ただ行き交った。

 とはいえこんないざこざは、世間的にはよくあること。この程度で完全に親子の縁を切るのも大人げないと互いにどこかで思っており、そのうちに私が結婚すると妻に、
「どんな人だろうと、それでもあなたには他にいない親でしょう」
 と至極まともな説諭を受けたこともあって、その後の二十年は波風の立たない親子関係が、細々とながら保たれてきたのだった。


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