読み書きのレッスン 徴(しるし)の発見 「風の歌を聴け」村上春樹 講談社文庫
「風の歌を聴け」村上春樹 講談社文庫
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
という冒頭で、村上春樹のデビュー作は始まる。
主人公の「僕」は大学生の頃、偶然出会った作家からそんな言葉を聞いたという。それを今もよく覚えているというのだけれど、なぜだかどうしようもなく嘘っぽさが漂う。本当に作家との出会いなんてものがあったのか、あったとしてもそんないかにもな名言を言ったりするものか。語り手の美化された記憶なんだろうという感じがする。
バーで独り飲みしている中年男性にうっかり話しかけたら、陶然としながら昔語りをとうとうと聞かされるような……。
20代最後の年齢になった「僕」は、自分の過去を書き残そうと思い立ち、若き日に聞いた冒頭の言葉を思い出したということらしい。いざ何かを書こうとすると、自分の知っていることがいかに限定的か思い知らされ、作家の言葉が蘇ってきたのだという。
そういえば自分はずっと「何かを言いたいが何も知らない」ジレンマに陥っていたと、「僕」は気づく。そうして、
「8年間。長い歳月だ。」
とつぶやく。20代の「僕」は、うまく語れず口を閉ざす日々。
「おかげで他人から何度となく手痛い打撃を受け、欺かれ、誤解され、また同時に多くの不思議な体験もした。様々な人間がやってきて僕に語りかけ、まるで橋をわたるように音を立てて僕の上を通り過ぎ、そして二度と戻ってはこなかった。」
そうやって時を過ごしてしまった自分。フ、というこの態度。
過ぎ去った時を見やりながら、
「今、僕は語ろうと思う。」
と、「僕」は前を向き、ストーリーを紡ぎ始める。
自分の語りに自分で意味と重みをどんどんつけていくこの度胸が凄い。
ことがらの軽重を自分の尺度でビシバシ測り位置付けていってしまう決めつけと自己陶酔が凄い。
いや、それくらいのクセがあっていいんだろう。どのみち日常を送っている現実とは異なる、虚構の世界で遊ぶのだ。虚構の中で「ちょっといい人」を気取ることに何の意味がある?
ものを書くには、この強さが必要なのだ。
面の皮の厚さを得よ。
デビュー作の冒頭で、村上春樹はそう伝えてくる。
これはいかにも「ハードボイルド」小説だ。痩せ我慢とカッコつけの美学。
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