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創作論13  味わい尽くしたくなる作品には、細部の充実がある

記憶の中から紡ぐ創作論の12回目、細部について。

結論やオチなどさほど重要じゃない。プロセスを味わい尽くすことのほうがずっと大切。
これは実人生においてもそうだし、マンガ、映画、小説などの表現でも同じだ。

では小説において、プロセスにあたる一つひとつの場面を、どうしたら味わい深いものにしていけるか。
ある人が「死ぬほど悲しんでいる」と書くのは簡単だが、それじゃ小説の持ち味を使えていない。何らかの情景描写を通して、死ぬほどの悲しさを読者に感じさせてこそ、わざわざ小説で表現する甲斐があるというもの。

そのためには、細部を充実させていくしかない。用いる言葉をいちいち吟味し、描写するものごとの順番にも気を遣う。また象徴的な細部をつくり込んで、反復するのも有効だ。
たとえば夏目漱石『それから』では、花と水を感じさせる描写が、全編にわたり繰り返し出てくる。

「代助は大きな鉢へ水を張って、その中に真白な鈴蘭を茎ごと漬けた。」

などと。何でもない日常の些事のようだが、繰り返すうち読者の脳内に花と水のイメージが浸透していく。

中上健次『枯木灘』でも、主人公の秋幸が肉体労働に勤しむ場面が、全編で繰り返される。それにより人物と土地のイメージが、読む側に刷り込まれていく。

中上は同作を書くあいだ、バッハのブランデンブルク協奏曲を聴き続けていたという。クラシック音楽は主題の反復と変化で構成されている。中上はバッハの創作法を我が身に染み込ませようとしたのだろう。

比喩表現も、細部の充実には欠かせない。
『それから』より引くならたとえば、

「二人はこの態度を崩さずに、恋愛の彫刻の如く、凝としていた。」

といった印象的な比喩表現がある。

細部が際限なく膨らんでいく書きっぷりを得意とする古井由吉の『夜明けの家』は、

「島の名をアルムルという。南北に細長く、西岸は北寄りのところで東へ強く屈曲して、東岸は島の腹に抱えこまれ、全体として小海老をさかさまにしたような形をしている。見ようによっては羊水の中の、まだどんな動物ともつかぬ、胎児の影を想わせる。」

小海老や羊水を持ち出して場の様子を描写していく。あやしげで只事ではない雰囲気が、立ち上がる。

事物を徹底して見つめ、考える。と、その末に出てくる描写は、異様な迫力と個性を持つようになり、あらゆる細部が充実したものとなっていくのだ。


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