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「完璧の誕生 〜レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿発見顛末〜」 11(最終回) 《モナ=リザ》のための第三日 〜能面が教えてくれた

「それでこれは……、もうできてるのかい? じっくり観せてもらっていいのかな、我が愛するリザヴェータの姿を」
 ジュリアーノの問いかけには、それこそ私の歓びですと応えた。
「こうして観ていただくのは、私からすればうれしいやらさびしいやら……。だってあなたはお気に召せば、この絵をそのまま持っていってしまう」
 私のそんな口上は、もうジュリアーノの耳に届いていなかった。
 いま彼は一歩前へ出て、肖像画をがっちり両眼で捉えている。まずは絵の中のどこに焦点を合わせるでもなく、全体視で人物像をぼんやり確認している。
「うむ、たしかにそこにいる。絵の中に、誰かが」
 彼は絵から気配をたしかに感じとっているようだった。
 問題は、それがリザヴェータなのかどうか。
 幼少よりジュリアーノが想い続けた彼女の面影を、絵の中の人物は宿しているのか?
 ジュリアーノは全体視をいったんやめて、画中の人物の顔に焦点を合わせているようだった。
 肖像画の中の柔らかい表情のうち、印象的なのはやはり眼だ。深みある漆黒の瞳は澄み渡り、いまにも吸い込まれそう。眼の造作自体は大きくもないが、眼の周りの皮膚に張りがあり刻々と眼の輪郭の形状が変わる。それが多彩な表情のニュアンスをつくっている。
「ああそうだ、この微笑ましい好奇の色をいつも湛えているのがリザヴェータだった……」
 そう呟くジュリアーノの頭の中にはいま、若き日のリザヴェータの姿が幾十枚もの静止画となって降って湧いているだろう。
 彼女の姿を写したスケッチのひとつも持っていなかったジュリアーノは、記憶の中のリザヴェータ像が日に日に薄ぼんやりとしていくことに苦しんでいた。その懊悩は、肖像と対面して晴れた。ジュリアーノの内にあるリザヴェータは、完全に鮮度を取り戻したのだきっと。
 ジュリアーノは肖像画と向き合ったまま、しばし身じろぎもしない。交信しているのだろう、リザヴェータと。そう思ってそっとしておいた。彼のほうを見やることすら控えて、私は北向きの窓から降り注ぐ光の粒をただじっと見つめていた。
 光はジュリアーノの横顔の表面を撫でて滑り落ち、そこに深い陰影をつくっていた。光の行方を追っていたら、手指がむずむずと動き出した。この相貌をよく覚えておいて、描き出したい気分に捉われた。
「……なぜまた僕など。あなたの前からまもなく消える予感でもするのか?」
 心身とも肖像画に囚われていたジュリアーノが、ようやく解放されて言葉を発した。
「いえそういうわけでは……。それより光でしょう。フィレンツェでリザヴェータ様を描いたときも、北向きの窓からいい光が差していたものでした。いまここにあるのとほぼ同じ按配の光。絵描きは多分に、光に導かれるがまま筆を動かしているものです」
 ジュリアーノは視線を瞬時宙空にさ迷わせてから、探しものを見出したというように目を見開いて言った。
「あらゆる事物は光に照らされることで、初めて存在しはじめるのだ。そう教えてくれたのはたしかレオナルド、あなたでしたね。
 だから私たちの存在なんて、気まぐれに光がお絵描きしたした結果として生まれたものに過ぎないのかもしれない……。そんなことをフィレンツェの屋敷で、年端もいかぬ僕に吹き込んだのだった。そんな難しい教え、子どもにはちょっと早過ぎたんじゃないか」
 冗談めかしてジュリアーノは言った。そうしていかにも軽口の延長といったふうに、
「だからこの絵も、リザではないよね」
 と続けた。
「いや、もちろん生き写しと言っていいくらいの出来映えだ、この肖像画ときたら。たしかに彼女はよくこんな微笑みを湛えて、周りで起こることどもを優しく見守っていたものだった」
 つい時を忘れて見入ってしまったと、ジュリアーノは厚い感謝を伝えてきた。
 そのうえでのことだが……。
 と前置いて、ジュリアーノが言う。
「彼女の思い出をズルズルといくらでも引き出してくれる『よすが』として、この肖像ほど優れたものはたしかに考えられない。けれども……。
 やはりこれは、リザヴェータそのものではない。
 なぜって、肖像画としてあまりに見事だからさ。
 たしかにここに生きた存在があるというのは、ひしひし感じるんだ。レオナルド、あなたは画面の中に生命を生み出すことに成功しちまっている。大した成果だ。
 僕だってこれまで立場を利用していろんな優れたものや銘品を目にしてきたけれど、他のどんな絵画や彫刻からも生命感を嗅ぎとれたことなどなかった。
 この絵は、人間全体というか生命のかたまりというか……。何かしらずいぶん深いところへ潜り込み、それに触れようとしている。
 それゆえ、だよ。我が愛するリザヴェータの個性なんて、とっくに通り越しちまっている気がする」
 普遍的な何かに届きそうになっているなんて、技芸家としてとんでもない達成だ。動かされた。
 そう言いながらジュリアーノが私の肩にそっと触れた。
「改めて御礼を述べよう、レオナルド。この絵は彼女そのものではないが、『よすが』としては最高だ。だって彼女のことを、こんなに鮮明に思い出させてくれた」
 ジュリアーノがさっぱりとした表情なのは救いだったが、正直なところ私は最も痛いところを突かれたと感じて鼓動が激しくなった。
 長いあいだ私は、この画面に筆を入れるのを日課としてきた。けれどその間、リザヴェータを画面に在らしめようと考えたことは、じつは一度たりともなかったのだ。
 それよりもジュリアーノに言い当てられた通り、
「ここに生命を! 普遍的な人間を!」
 といったことばかり念じていた。つまり頭にあったのは自我や自己の願望であって、ジュリアーノやリザヴェータのことは思い浮かべていなかった。
「……うむ、それを責める気にはならないし、ある意味当然だろうよ。あなた自身がリザに思い入れがあるわけじゃなかったのだしね」
 ジュリアーノは目顔でここに掛けていいかと尋ね、返事を待たずすっと腰を下ろした。そうして足を組み、座も勧めぬままだった無礼を詫びるレオナルドの言葉を聞き流しながら、さらに言を重ねた。
「それにさ。リザヴェータ本人のことをどれほど考えていたのかと問うのなら、じつは僕のほうだって大いに心許ない。
 さっき僕は絵を一瞥したとたん、生き写しだ! と言ったけれど、それだって本心かどうか疑わしい。だって僕は、彼女のスケッチの一枚も持っていない。いくら想いを募らせてきたと言ってもだ、頭の中にどれほど正確に彼女の姿かたちが残っていると思う?
 そう。じつのところ僕の頭の中には、とっくにリザヴェータの姿なんてなかった。彼女の顔は隅から隅まで覚えているつもりだったが、じゃどんなだったと聞かれても具体的に説明できなくなっていた。薄情なものだ。
 だからだよ。この室へ来て肖像と対面したとき、しばらく呆けたように何の反応もできなかった。これがリザヴェータか? そっくりなのか? はて本当にこんな顔だったか? 戸惑ってしまった。
 動転しながら気づいた。僕が胸に抱き続けてきたものの正体は、想い人にせめて絵を通して再会したい一途さなんかじゃない。単なる自我だったんだなと。
 人はわがままだ。あなたの肖像画がそう教えてくれた」
 そう述懐するジュリアーノは、至極柔らかそうなファーを漆黒に染めて肩にふわりとかけている。頭にはわざと斜めに傾げて被る大振りな東方風の帽子を載せている。襟元から少し覗かせた緋色の内着が差し色として眼を惹く。泣き言を述べ立てるにはまったく似つかわしくない風貌だと感じたが、椅子の上で悄然とする表情に嘘は感じられない。
 正負とも入り乱れた感情を喚起させたのであれば、それもまたよしか……。自己の技芸が人の心に直接作用を及ぼしたというちょっとした満足は覚えつつ、彼に尋ねた。
「んむ……、ではどういたしましょうか。この絵の処遇のほどは。
 引き取りになってもなさらずとも、いかようにでも」
 その問いにはジュリアーノ、意外やはっきりと引き取らせてもらおうと即答した。
 自分の卑しくて強固な自我を見せつけられたとはいえ、リザヴェータを再び思い出すよすがを与えてくれたありがたさは何にも代え難い。日々向き合って、もう一度リザとの関係を築いてみたいという。
 無論こちらに異議はない。
 この絵と離れ離れになる日がやがてくるのは承知していた。もともとはジュリアーノの依頼により描きはじめた絵。注文主のもとに収まるのは、至極あたりまえのこと。
「すまないな……」
 とジュリアーノがちぐはぐなことを言う。そうして、
「代わりというわけではないんだが」
 とジュリアーノが懐から取り出したのは、手のひらに収まりそうな木製の仮面だった。
「これを置いていこう。ヴェネツィア土産だ。『オモテ』と呼ばれている。ずいぶん質素だが、これでどうしてかなり珍品の舶来もの。めったにない出物だ」
 ふたつの椅子の中間に置かれた小さい卓に、ジュリアーノが粗末な木塊をそっと置いた。
 仮面だというが、ずいぶん小さい。これではせいぜい鼻の周りしか隠せないではないか。しかも、あまりに平面的過ぎる。隅が緩やかにカーブを描くものの、中央部分はほぼ平らにできている。
「これでは無理に被ろうとすれば、ほら鼻が潰れてしまう」
 私は木塊を手にとって裏側を眺め平らなのを確認し、実用に適さないものと断定した。
 ヴェネツィア土産と言うからにはカーニヴァル用かとも思ったが、地味にすぎる。いったいどこからの舶来ものか。
「それが東方なんだ。遥か東のほう……」
 ジュリアーノが応えた。東、か。トルコ? それともクリミアあたりか? 
 いや、もっとずっと東である。
「日本というところだ。わかるかい、レオナルド?」
 仮面は小さいながら木目がしっかり詰まっているのか、ずしりと手に響く。日本か。聞き覚えはある。たしか東方も東方、その果てにあるのではなかったか。
「マルコ・ポーロは読んだでしょう? 
 マルコが言う、かの黄金の国というやつだ」
 ジュリアーノが注釈を付けた。極東にある黄金の国から届いたマスク……。にしては簡素だ。仮面丸ごと黄金色に輝いていたって不思議ではないだろうに。いずれにせよ珍品には相違ない。
 ジュリアーノによれば、相当に由緒あるものという。
 絹の道の果てにある日本まで、ヴェネツィアの交易網は延びている。カーニヴァルの衣装や仮面は、水上の都の豊かさとオリジナリティを示す品として交易の場で人気だ。日本を治める王のもとへも先般、一式が届けられた。
 将軍義政と名乗る王は、初めて目にする装いの煌びやかさに喜んだ。返礼として王が使者に持たせたのが、この「オモテ」となる。
 すなわち王からの献上品。教皇の弟たるジュリアーノの手元にあるのはいいが、私のもとにあるのはいかがか。
 少々惑ったが、すでに「オモテ」とじっくり向き合いたい気になっていた。遠方より来たる仮面の細長い両の眼は、私の思いもよらぬものを多々映してきただろう。その一端を知れたらと、好奇の念が止まらない。
「受け取ってくれるかい? それなら……」
 とジュリアーノは、クシャクシャになった分厚い紙片と、クルクル巻いた筒状の紙を懐から取り出した。保管するならこの布とも紙ともつかぬ厚みあるもので包んでおくのがいい。そうやって長い道のりも無傷で運ばれてきたらしいからと指南する。
「そしてこっちは、言わば使者の口上だ。これでもれっきとした文字だそうだ。翻訳したものも挟んでおいた」
 と一本の巻き物を手渡してくる。
 たしかに上質だ。こんなに真っ白に輝く紙は見たことがない。その表面に黒々とミミズがのたうちまわったような細い縦線が、何十本も引かれている。
 この珍妙な図形が言語の体系を成し、ひとつの文章として意味を表すとは俄かに信じ難い。でもこれこそ仮面とともに伝わった丁重な書状であるという。
 世界にはまだいくらでも、思いもよらぬものがある。その事実はこんな老身をも少し熱くする。
 大意を翻訳した紙片には、こんな口上が書かれていた。

「ご機嫌麗しゅう。
 これを読むのは遥か遠い大地に生きる人でしょうから、あなたの人品骨格世態風俗がどのようなものか、想像もつきません。世界に対する私の知は有限であり、片や世界のほうは無限に広いのです。
 ここに同封したのは、オモテにございます。仮面に浮かぶ表情を、ぜひ堪能していただきたい。あなたにもきっと覚えがある何某かの感情と記憶が想起させるに違いありません。
 先立っては、あなた方の街ヴェネツィアでつくられた仮面を拝受しました。それはまこと素晴らしく華やかな、驚くべき逸品。
 盛大なカーニヴァルにて用いられる挿話と併せ、我らが将軍・足利家義政公のもとにしかと届いております。
 私はここに返礼の品を梱包しながら、まだ見ぬあなたがたの街に想いを馳せております。
 噂によれば街は丸ごと海の上に築かれているとか。はたしてそんなことがあり得るのでしょうか? カーニヴァルの佳境には水路という水路から、神々が浮かび跳梁跋扈するとも聞きます。これもまた真でしょうか? 世界はまことに広いと感服する以外にありません。
 日出づる地にあたる日の本と、日沈む地として知られるあなたがたの土地。長い長い絹の道の両端に位置する我らが、いつか自由に出会い交わるようになれたとしたら、さぞ共通の習俗出来事を数え、笑い合えることでしょう。
 そんな日がいつか来ることを願いながらまずは右の品、献上のほど。
 本邦最大の技芸家が霊木から彫り出し、生命を吹き込んだ品でございますゆえ。
 日の本征夷大将軍義政代理にて筆を執る  同朋衆 相阿弥拝」

 ここ数日来、ローマ教皇庁近くの屋敷にある私の小さなアトリエには、日本の将軍から贈られたオモテと呼ばれる仮面が壁に掛かったままである。北向きの窓から降り注ぐ柔らかい光を浴びて、もともと白いオモテの表面は、いっそうの白さに輝いていた。
 ローマに落ち着いてから、私の手元には急を要する仕事がない。それでもアトリエまでは日々律儀に出向く。ただそこではキャンバスを画架に立てるでもなく筆を持つでもなく、壁を彩る小さいオモテをただ矯めつ眇めつしている。
 今日も午前のうちからアトリエにひとり座を占め、ずっとオモテと対面している。
 数日前にこの場を彩っていたのは、フィレンツェの絹商人の妻リザヴェータを描いた肖像画すなわち《モナ=リザ》である。
 その絵は依頼主たる教皇の弟ジュリアーノにお披露目され、いたく気に入ってもらえた末に引き取られていった。
 絵があるべき場へ収まっただけのことだが、いまだ肖像のことばかり頭を過ぎる。あの絵がここにないことは、我が心に虚空をつくった。空虚を埋めたいがため、必要以上にオモテを見つめ続けているということもありそうだ。
 しかし眺め続けるほどわかってくる。このオモテとやら、見るに足る内実を備えた逸品である。
 平らでのっぺりしたオモテを、私はどこか不気味に感じた。造作のユニークさにではない。この顔面が何も指し示していないからだ。
 読み取れるのはせいぜい、これが人間の頭部を表した仮面であることくらい。女性であろうとは思うが、少女なのか老女なのか。身分や立場や境遇は? 良きものかそれとも邪悪な側にいるのか。
 何もわからない。どうとでも読むことができてしまう。
 この異様なまでの曖昧さを、まだ消化し切れないのだ。
 とてつもない自由さがここにあるとも言えるし、単に表現以前の取るに足らぬものとも見れる。心内の霧は深まるばかり。
 頰に添えた左手の人差し指をこめかみのあたりに移して揉みしだきつつ、悶々とし続けてどれほど経っただろう。ふと頭をよぎる想念があった。
 そうだ! 動くから、ではないのか? 
 オモテの表情は、私が見るたびいちいち動く。それでいっこうに捉えられないのだ……。
 描く者の定めとして、私の眼は何を見ても瞬時にモノの最も典型的かつ象徴的な姿を留められる。かたちを脳裏に焼き付け、それを手にした絵筆によって紙や布の上に再現する。長年の絵描き生活で、それくらいは容易いこととなっている。
 この能力というか習い性が、オモテを眺めるときにはおそらく徒になっている。というのもオモテに視線を向けるたび、私の眼は瞬時にオモテの何たるかを捉える。だがいったん視線を切って再びオモテを見ると、そこにはさっき捉えたはずの姿とは別のものが浮かび上がっているのだ。
 これはいったいどうしたことか。オモテが時時刻々と表情を変えているとしか思えない。まるでそれ自体が生きているかのように。
 私が眼をやるたび、オモテの表情は変化して、二度と同じ顔を見せやしない。木塊に彩色しただけの物体が動くだなんて、そんなことはあり得ないはず……。
 ならば、「そう見える」だけということ。問題は私の見方か態度か、心象のいずれかにある。
 私は壁に掛かったオモテの前に小椅子を据えて腰を下ろした。そうしてオモテの部分部分を凝視したり、壁全体を意識に入れて全体視してみたり。あれこれ試みながら改めてオモテと向かい合った。
 それでも埒が明かないと見れば、おもむろに立ち上がって身体を左右に傾け角度を変えて眺めたりを繰り返した。
 何度目かに椅子から立ち上がり、身体を前傾させたあとすぐ後傾させたときのこと。少々勢いがつき過ぎて、小椅子にすとんと身体を落としてしまった。
 驚きつつもオモテから視線を外さぬままでいると、尻の痛さとは別にこめかみの奥に閃光が走った。
 もしや……。こういうことか!
 私は慌てて椅子から離れ、早足で戸口の向こうへ身を運んだ。
 いったん部屋から出たかたちだ。そこから戸口へひょっこり顔を出し、部屋の中を覗き込んだ。視線をさっと壁のオモテへ向ける。
 ん、いろいろ混ざっているが……。強いていえば、憂いだ。
 ここから見やるとオモテがどんな表情を湛えているかを確認したのだ。
 次いで一歩ずいと踏み出し、そのまま二歩三歩……。オモテに向けてまっすぐ進む。手を背後に組んで、視線は自分の足先を見つめたままで。
 十歩進むと、小椅子までたどり着いた。そこで顔を上げ、素早くオモテの表情を捉える。
 んん。今度の顔は、怒気を含んでいる。
 戸口で見たのと小椅子の位置から見るのとでは、オモテの面持ちが明らかに異なる。それどころか、オモテの表す感情がまるっきり違う。
 まだまだ。さらには、だ……。
 ひとりごちながら、小椅子へ身を投げて座してみた。そうしておもむろにオモテへ視線を注ぐ。と、
 ああ、やはり……。いよいよ笑ったぞ!
 近距離で座ってオモテを眺めると、すこしはにかみながら微笑む表情がはっきり現れた。
 仮面は観る側が動くにつれて、その表情を刻々と変えるのだった。
 どうしてそんなことが起こり得るのか。つまりは、だ。
 木塊たるオモテは、それ自体動いたりはせぬ。
 ただし見る側が動けば、その表情は変化する。すなわち、見る位置や角度によって印象が大きく変わる。
 表情を変化させる要因は、視点の位置だ。主に高さが関係する。
 高い位置からオモテを見下ろすとき、表情は曇る。哀しみや憂い、苦しみに恨み。さらに憔悴まで示すが、そのあたりの感情のニュアンスは角度により微細に移ろう。
 逆に、だ。低い位置からオモテを見上げると、表情は晴れやかに照る。歓び、恥じらい。憧れに思慕、愉悦などの感情が現れ出てくる。
 ちょっとした位置と角度の違いにより、考えられ得るかぎりの表情をオモテは宿す。オモテは決まった顔を持たない。だからいつまでも正体をつかめず見切ることもできず、不気味な生々しさを湛えるとともにどうしようもなく惹かれてしまうのだ。
 変化をもたらす仕掛けはどうなっているか。秘密は、この部分にある……。
 私は小椅子から立ち上がり、大股で壁まで歩み寄る。オモテのある一点を指差し、誰にともなく叫んだ。
 ほれここ、このまぶた!
 のっぺらとした面なのに、まぶたにはずいぶん厚みを持たせてある。このまぶたが覆いとなって、高いところからオモテを見下ろせば眼は細く鋭いかたちとなる。畢竟、哀や怒の感情が現れる。
 逆に見上げるときには、まぶたは影を作らぬから眼は見開かれた状態となる。それで晴れやかさと朗らかさが、面の全体に表れるわけだ。
 さらには、瞳もだ!
 厚いまぶたの下に埋め込まれた両の瞳。ここにもなんとまあ繊細な仕掛けが……。あまりの巧妙さに、背筋がぞくりとする。
 私は至近距離からオモテと正対し、目を合わせようとする。
 ところが、ほれこのとおり。正体してもオモテとは目など決して合わない。
 というのも、真正面から見るとオモテの両眼はかなり下向きに付いている。眼のある位置はごくふつうだが、視線だけ真下を向いている。
 だからなのだ。観者がオモテを見つめれば見つめるほど、オモテにはぐらかされフラれたような気分になるのは。
 オモテは見つめる角度によってそこに宿す感情を刻々と変え、本来の表情や想いを悟らせることが決してない。それでもオモテの表面に浮かぶ感情をなんとか読み取ろうと深追いすれば、絶えず微妙に眼を合わせてもらえずにもどかしい気持ちだけが募る。
 オモテはまるで、駆け引き上手な恋愛の手練れだ。
 眼の周辺の微細な造りによって、これだけのことを為してしまうとは。なんたる創作物か。
 これを生み出した者の技量と思考の厚みに底知れぬものを感じて、身体の芯がひやりとする。
 他にもまだある。オモテに施されている工夫は。
 今度は口元だ。上唇と下唇が付かず離れず、ほんのわずかに開いている。まるで何かを語り出す瞬間のよう。なにがしかの言葉が発せられんという瞬間を、たまたま捉えることができた! という喜びがまずはある。
 そしてまぶたと同じように、口元にもわずかな凹凸が施されている。上唇と下唇を比べると、下のほうが前に突き出て受け口気味になっているのだ。
 意図的に付けられたこの立体感によって、オモテの表情はさらに動く。実践してみようか。私はオモテを壁から外し、両腕を伸ばして捧げ持った。自分の顔と正対させていたオモテを、すこし下に傾ける。ヒタイの側が私に近づき、顎先が最も遠ざかるかたち。
 その角度から眺めるとオモテの口元は、下唇が突き出ていることも手伝って、上弦の向きに半円形になった。口角が上がり、微笑みを湛える格好となる。
 今度はオモテの下側すなわち顎のほうを手前に引き、上側つまりヒタイを遠ざけるよう傾けた。仰ぎ見るのと同じ状態。と、口元は大仰に言えば「への字」型になる。いかにも不機嫌、苦虫を噛み潰したようなとはこのことというかたちになった。
 見る角度によって、口元もみごとに動きを見せたのだった。
 動く、動く! 目まぐるしく。
 こちらが働きかければ、あちらもつど、新しい表情を見せてくれる。この手応えと尽きせぬ悦びは、なんたることか。
 小さい木塊に精緻な細工を施し人工を極めることで、あたかも生きているかのような動きを得るに至っている。人間業とは思えぬほどの達成といえよう。同じ表現者として対抗心や嫉妬を覚えるのを通り越し、畏ればかり感じさせる。
 私が創作で追求してきたのは、
 そこに生命を宿したい。新しい生命を我が手で生み出したい。
 煎じ詰めればその一事。そのための必須の要件として「動くこと」がありそうなのは、薄々感じていた。だがそれをどうしたら実現できるかは、皆目わからなかった。オモテはあっさりとそれを為している。
 所詮、絵は動かぬ。
 そう思い込んでいた私がしてきたのは、動きを想像させるシーンを厳密に選び描写もできるだけなめらかにするくらい。そうして迫真性を高めようとした。
 対してオモテは、実際に表情が動く。ちょっとした「見え」の変化をつくることで、それ自身が意思を持って刻々と表情を変えている!そんなイリュージョンを、観る者の頭の中に展開させている。
 オモテのつくり手も、そこに新しい生命を宿そうとしたのか。無から有を生み出したかったのか。私と同じように。
 絵の中に実現された動き……。オモテに倣ってこの要素を入れ込めたら、私のあの絵だっていよいよ生命を宿す域に近づけただろうに。
 もちろんジュリアーノに所望されて描いた、絹商人の夫人リザヴェータの肖像のことである。
 が、時はすでに遅し。絵画はすでにあるべき場所へ持ち去られた。 
 どうしようもないか。そう思っていた矢先である。状況が俄かに変わった。
 ジュリアーノが病を得たとの報せが入ったかと思うと、見舞いの日取りを考えている数日のうちにあっさり亡き人となった。
 教皇の弟というたいへん地位のある人間ゆえ謀略その他の可能性が綿密に検討されたが、どうやら単純に病をこじらせたようだと結論を見た。
 長い付き合いだった相手を急に亡くしたショックもさることながら、自分の心がけが悪影響を及ぼしてやいないかと怖れた。《モナ=リザ》に還ってきてほしい、昨今そればかりを念じていたのだから。関係などあろうはずもないとはいえ、後味の悪い思いが胸に残った。教皇庁をあげての盛大な葬送行事がすべて済むまで、その苦い味は口中から抜けなかった。
 ジュリアーノの生命の灯はあっけなく消え、「まだ早かった」と口々に人は言う。とはいえ、彼もすでに壮年といえる年齢には達していた。「すこし早かった」くらいは言えるかもしれぬが、病で身罷るのはさほど不思議じゃない。
 ということは、だ。ジュリアーノよりずっと年上の自分の生命の灯は、いつ消えたっておかしくない。その日はさして遠くないのだろうということはありあり感じる。
 だから、せめて《モナ=リザ》だけは……という思いが、いや増す。
 何も完成させられやしないヤツ。お騒がせ者だが、考えてみれば結局、大したことはひとつとして成し遂げなかったレオナルド。そんな世評がいまさら覆せぬのはしかたない。
 ならばせいぜい、自分を納得させて終わらせようではないか。レオナルドはこれを為して死んだ、そういう足跡を残したい。
 この世に置き伝えたいのは、ひとつの生命である。子を為し家系を継いでいくことのできない身としては、絵の中にそれを宿し、受け継いでいってもらうことに賭けるより他ない。
《モナ=リザ》は、あと一歩なのだ。生命に欠かせぬ「動き」の感覚さえ描き加えることができさえすれば、観る者に真の生命感を伝える初めての絵画になる! 
 そんな強い思いがあってのことだ。私がいつになく素早い行動に出たのは。
 まだ沈痛な空気が支配し混沌の只中に、ジュリアーノの屋敷へ出向いた。壁にも掛けられず保管されていた肖像画を指し、これはジュリアーノにいったん預かってもらっていた絵ゆえ引き取らせてもらう。そう言い残し、有無を言わさず持ち帰った。
 かくして《モナ=リザ》は、手元に還った。
 ものごとが動くときは、あれやこれやが一気に動く。
 六十年以上も生きると、そんな世の摂理をがわかってくる。だからジュリアーノの死に引き続いて自分の身に起きた変化にもさして驚かず、私は従容として受け入れた。
 前年に王位に就いたフランソワ一世に請われ、フランスの地に招聘されることとなったのだ。
 こんな老いぼれをよくぞ見出してくださって……。ありがたいのひとこと。断る理由もなく、即応した。
 不満がないどころか、これは僥倖と言っていい。我が目下の願いは、再び手元に置くこととなった《モナ=リザ》を仕上げることのみ。
 国王の庇護のもと、とりたてて差し迫った仕事の設定もなく、与えられたアトリエ付き城館で自身の創作や思索を深めてくれればいい。フランス側から提示されたのは、そんな破格の条件だった。これで《モナ=リザ》に打ち込める。使者から条件を聞いたとき、私はほくそ笑んでいただろう。
 ただひとつ請われたのは、これまでその身に蓄えてきた美の遍歴と知見を、たまに王へ語り伝えてほしいということ。
 お安い御用である。必要とあらば快活で社交的なふるまいは難なくこなせる。身分ある人物を御すのはむしろ得意なほうと言っていいくらいだ。
 ローマ教皇庁すぐそばの居住地からフランスへ赴くときは、荷などほとんどなかった。ほぼ身ひとつの状態である。
 ローマにも故郷フィレンツェにも、もう戻ることはあるまいと悟ってはいた。フランスへは、ほとんど死ぬために向かうようなもの。そんな自分に、いまさら必要な身の回りのものなどない。
 ただひとつの例外は、さほど大きくない一枚の肖像画。この《モナ=リザ》だけは、フランスまでの長い移動の折にも眼の届く範囲に留め置いた。
 フランスへ死にに行くようなものとはいえ、《モナ=リザ》に手を入れ完成させることだけはぜひ成し遂げん。
 あとは、我が寿命との競争であるな。
 フランスワ一世さまのもとへ着々と我が身を運ぶ時間も、頭に浮かぶのはそんなことばかりだった。
《モナ=リザ》を、なんとか自分の満足いくかたちにしたい。そうして生命を宿らせ、私の手から離れていくさまを見届けたい……。
 そんな一念でフランスにたどり着いて後の日々を過ごし、気づけば二年近くの時が経つことになりますか……。私の寿命は幸いにも、ほれかろうじて保たれておる。ありがたいこと。
 もちろん明日にも、私の命脈は途切れるかもしれない。
 それでも、今ならひょっとすると、さほどの後悔なく旅立てるかという気もする。
 さてどうでしょう、サラさま。あなたの眼前にこうしてある《モナ=リザ》、これに生命を宿さんという私の目論見はかなりの程度に達成させられたとは見えませんでしょうか。
 遥か東方より来たるオモテから学び取った「動き」を描き加えて、肖像画はすっかり生命を得たと考えるかどうかですか? さて、どんなものか。その判定は後世、この絵を眼にする人に委ねるしかありますまい。
 オモテをヴェネツィアまで送り届けてくれた東方の国の民までが、容易にここフランスへまで赴いて《モナ=リザ》と対面する……。そんなことができるようになる遥か未来まで、この絵が生き永らえてくれたら私としても本望。
 そのために今日も、もうひと筆だけ、描き加えなければ。
 もうひと筆。もう、ひと筆。最期の一瞬まで、私が考えるのはそのこと以外にない。
 ただ、そういえば先ほどから名を呼ばれていた気がする。早くこちらへ。食事の用意が整っていると声を掛けられたのだろう。
 どら、ここらでいったん手を休めることにする。スープが冷めるから。

(了)


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