「みかんのヤマ」 21 20220109
働きながら通う人も多いうちの専門学校は、準夜間制をとっている。
毎日の授業が終わると、もうずいぶんな夜更けだ。
その時間からわたしは、授業準備室を開錠してもらってそこに入り浸る。
置いてあるヒトの全身骨格標本を、ひとり黙々と部分ごとにスケッチしていく。
「人体基礎」担当の先生は、かつて公立大医学部で骨学を教えていたとの噂。 先生は授業中に言った。人体のことやるなら、それぞれの箇所の「かたち」と「はたらき」をすべて押さえればいい。そうすれば身体のいい動かし方や、うまく動かなくなったときの治し方はおのずとわかる。あらゆる骨の形状と機能を暗記しないと単位を渡さないわけじゃないが、本気でやるなら覚えておいて損はないぞ、と。
学生のなかで唯一やる気の感じられるわたしを見つけてくれたのはこの先生で、彼の取り計らいで骨格標本を使えるようになったし、さらにはスケッチのやり方まで教えてくれた。
骨のかたちとはたらきを丸覚えするには、スケッチをするのがいちばんだ。医学部生も最初にまずこれを徹底的にするのだと聞いて、わたしも真似事を始めたわけだった。
骨のパーツの一つひとつ、かたちを忠実になぞるだけじゃなく、特徴をちゃんと捉えながら描いていくのは、それこそ骨が折れた。せいぜい一日一片スケッチするのがやっとだ。
しかも、描くのを始めてから知ったのだけど、人体内の骨の数って二百以上もある。ということは、サボらずやっても骨の全体像をおぼろげにでも把握するには優に半年以上かかる。まあ、やるしかないのだけれど。
ジリジリと毎日スケッチを進めた。三日に一度は「何してるんだっけ、これ?」という気分に陥ったけれど、そのつど「人を知り、操るにはまず、骨を知れ」という自作の標語をぶつぶつ唱えて気持ちを切り替えた。
続けていれば、すこしずつ見えてくることもあった。スケッチを進めるごとに首、肩、肘、腰、膝、足首。それぞれの可動域が腑に落ちてくる。各部位にとって絶対に無理な動作や曲がらない方向があることもよくわかってきた。
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