「描くひと」
気になる個展がひとつあって、東京駅近くのギャラリーに立ち寄ることにした。
同じタイトルの展覧会案内は、たしか昨秋にも届いていた。それが何らかの都合で、これまで延期になっていたみたい。
まあ展示の日程変更なんて、美術の世界じゃよくある。展評を書き継ぐのを生業をする身としては、しょっちゅう出くわすこと。
とくにこのKさんという画家は、いかにも描けなくなる時期がありそうなタイプだった。何年か前に本人を取材したとき、作風だけじゃなく本人も見るからに繊細なんだなと感じた。
Kさんはなんだか、「細くて長くて薄い人」という印象だった。
まっすぐ伸ばした髪で顔の輪郭を隠し、長身をストンとくるぶしまで隠れるワンピースで包んでいた。声は小さいけれど、こちらの問いによっては伝えたいことをとうとうと話した。
ポートレート撮影のために同席したフォトグラファーはあとで、被写体としての彼女を絶賛した。
いわく、立ち姿にこれだけ雰囲気がある人も珍しい。
「頼りなさげで、ただぼんやり立っているように見えるけど、真ん中に芯が一本通ってる。柔らかくて、硬い」
とのこと。
ともあれ小さいギャラリーに着くと、昨秋から延びたKさんの展示は無事に幕を開けていた。
でも順延のあいだに、決定的に変わってしまったことがひとつあったみたいだ。
展示は新作展という触れ込みだったはず。それなのに入口に掲げられた展名の末尾には、「追悼展」という文字が付け加えられていた。
扉をくぐる。壁面には瑞々しい色合いの絵画が並んでいて、観る者の目を大いに歓ばせてくれそう。ただギャラリーの隅に、壁面と対照的な黒い服装の男女がいる。彼女の両親らしきふたりが、生前の彼女と馴染みが深かったのだろう来訪客と小声で話し込んでいた。
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