近所に書店(写真集の充実した)ができて、うれしかった話。
近所にいきなり書店ができた。
とはいえほんのささやかなもので、間口がたぶん一間半、奥行きはその倍という程度の規模。
ここらは東京郊外の典型的な住宅街だから、書店にかぎらずこういう個人商店自体が珍しい。
どういう目論見と勝算があって、こんなところに小さい書店を構えるんだろう。
心底不思議だったけれど、いや個人で書店なんか始める人は、勝算なんて考えるわけもないかと思い直した。根っから浮世離れした趣味人がやってるんだ、きっと。
書店に変貌した建物自体は、住人のだれもがよく知るものだった。ここらじゃ悪い方向に目立っていたから。
周りはそこそこの敷地を持ったまあまあの一軒家が多いのに、その建物だけはいったいいつつくられたものか、下手すれば戦後まもないころからあるんじゃないかとも思える古色を湛えている。
だって壁も屋根もなんと、トタンで覆われているのだ。いまどきトタンなんて素材を目にすること自体がないだろうに。見たこと聞いたことのない人も多いんじゃないのか。しかもトタンの継ぎ目はところどころ剥がれてしまって、そこから内側のチャチな木組みが露わになってる。
ポカリ口を開けた店の入口上部には木製の看板がついていて、屋号がしたためてあったけど、読み取る気にもならなかった。心の中でここの呼び名はもう「トタン屋根書店」と決定していたから。
狭かろうがボロ家だろうが、ともあれこんな近くに書店ができたのは喜ばしい。しかも、置かれている本のジャンルが、自分の好みにぴったりだ。
新刊も古書も区別なく並ぶ本の大半は、いわゆる人文系のもの。ざくりといえば文学と美術にまつわる本ばかりだった。
何より写真集が多く積まれているのはうれしい。こればっかりは、そう簡単に電子書籍で代用するわけにもいかないものだから、現物を直接手に取り眺められるというのは希少で貴重なことなのだ。
買い物に出かける途上だったのだけど、吸い寄せられるように店内に足を踏み入れてしまった。店の最奥部の端っこに丸椅子を置いてひっそり座る店主は30代から40代か、黒っぽい上下に前髪をおろした無雑作ないでたち、少なくとも切れ者のようには見えない。
驚きましたこんなところに店ができていて。なぜまた本屋を?
挨拶がわりに問うてみると、
コロナで仕事が……
とかなんとか、むにゃむにゃ言っていたが内容はよく聞き取れなかった。
客商売はあまり向いてなさそうだなと思いつつ、写真集がたくさんあるのうれしいですと伝えれば一転、いやわたしも好きなものでして、と店主は饒舌に思いの丈を話し出した。
かつて「写真集は人ナリ」と喝破した写真家がいましたよ。たしかにその通りだなと思わせる言葉です。
写真はたった一枚で人を喜ばせたり不幸にする力がありますが、何枚も使って写真集にすると、いっそうひとつの独自の気分というか、この世界とは違うもう一つの真実というか、物語といいますか、何か「世界」をつくれるでしょう? そこがいいんですよね。
じゃあ、いい写真集をつくる方法はあるのかどうか。ページを繰りながらよく考えますけど、まずはもちろん写真がよくなきゃだめでしょうね。さらにはそれ以前に、人がよくないとだめなんでしょう。まさに「写真集は人ナリ」。作品と作者は別ですからなんておすまししてちゃいけません。写真は自分をさらけ出す装置であって、特にそれが束になってものを語り出す写真集ともなると、よけいに撮る人のことがはっきり出ちゃうものですよ。
黙っていると輪郭ごとぼんやりしているというのに、思いがけずキッパリとした意見が飛び出して驚いた。そうして店主は、「写真集は人ナリ」をよく表しているものならこれですねと、一冊の古びた写真集を取り出した。
へえ、こんなの知らなかった。永井荷風の写真集だという。いや、永井荷風が被写体になっているのではなくて、荷風が撮った写真を束ねたものだ。
これは相当いいですよ。自分の食事を撮ったり、遊びに行った先の踊り子たちがラインダンスしているのを写したり、通い慣れた下町の散歩道もしっかり押さえていたり、勝手知ったる街を自在に歩いている感じがよく伝わってくる。いまでいうInstagramのノリです。
なんでこんなにいい写真になるのか。まずは文豪・荷風のさすがの観察力、そして人間力がものを言っているのでしょう。それに、写真が片手間仕事になっているというか、散歩のついでに撮っているのもまたいい。
おそらく写真でいちばんよくないのは、「名作撮ってやろう」とか「いい絵ができるかな」なんて邪心を持ってしまうこと。荷風には、そういうところがまったくない。カメラをぶら下げたときの彼が思っていたのはきっと、歩いている途中で出合った愛しいもののいいところをそのまま写したい、というくらいのこと。
素直な気持ちで、小さな感動を撮っているわけですね。撮るときの心持ちは、そうでなくっちゃいけません。小賢しさを排してこそ、大事なものを掬い取ることもできようというものです。
店主の前のめりな話っぷり、キリがなくなりそうな気配があったので、開店そうそう長居した無礼を詫びて帰るきっかけをつくった。また来ますと言い残して去ったのだけど、また立ち寄れるよう店がしばらくでもちゃんと続けばいいと思う。滞在しているあいだ、他の客が訪れる気配のまるでなかったのは、ちょっと気がかりに思うのだ。
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