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読み書きのレッスン  主人公にインタビューを試みる


 キャラクターが先だ。ストーリーはあとからついてくる。
 そう学んで、たしかにその通りだと思った。感情が宿るのは結局のところ人なのだし。
 となると、プロットを考えていた『最期のセールスマン』で主人公に据えた宅井竜馬についても、率直にもっと知りたいという気持ちが湧いてきた。
 相手のことをもっと知りたい。そう切実に感じたとき、ふだんはどうしているか。機会を窺い、会って話を聴こうとするのが常だ。
 ならばと宅井さんにも、インタビューをさせてもらうことにした。

 長らくセールスマンとして勤めてこられたけれど、あるときを境に有能で敏腕なフリをするのはやめた。内勤への転換を会社に直談判するもクビを切られ、その後に始めた個人宅配業も失敗。病が発覚して呆気なく生命を落とすものの、人生の最後期に至って魂をようやく思うまま遍歴させようとしたことは事実。それで最も認めてもらいたかった家族から、「悪い人じゃなかった」とは言ってもらえたのが宅井竜馬さんです。
 あなたの生きた軌跡が、僕にはじつに興味深く感じられます。意識の流れがひじょうに特異であると言いますか。
 行動や心情がブレることなど、以前はほとんどなかったはず。ソトでは小心、ウチでは尊大というので貫かれていた。それが最期の一週間で、あなたの意識の流れは急にイレギュラーな動きを見せ始めました。
「そう、最後の最後で自分から主体的に動けたのは事実。ただそれ、正直なところ結果論に過ぎませんがね。死期を悟って力を振り絞った、といった劇的なことでは決してなかった。
 まあ人間、落ち切ると吹っ切れるというのはあるんでしょう。自分としては、気づくのがちょっと遅過ぎたなと、後悔の念のほうが強いです」
 「落ち切る」という実感はどんなところから?
「とにかくセールスの売上が落ちた。というより、最後のほうはいつもゼロだった。売上は立ったがあとから返品があったことにして帳簿上の数字をごまかしたり、切羽詰まれば自分で購入したり、単純に架空の数字を報告したりもした。隠し通してきたが、もう覆いきれなくなった。
 仕事だけの生活だったから、そこが揺らぐとアイデンティティに直結する。ましてや仕事がダメになってることを家族に明かすなんて、よほど追い詰められないかぎりあり得ない。これまで一度として弱音を吐いたり後ろ向きなところを見せたりなんてしなかったんだが」
 たしかに家庭ではこれまでいつも、虚勢を張っていた。そして端的に、すこし威張っていた。
「自覚はなかったが、妻の凜子やひとり息子の正生に言わせればそうだったのかもしれない。いや実際、家では威張りん坊でした。
 なぜそんなだったかって? 自分の中に『夫はこうでなければ』『父親はかくあるべし』という理想がはっきりあって、それに従ったというか。
 夫や父というのは、家庭の柱でしょう? 堂々としていることにプライドを持っていたんです。重要なのはそこじゃないというのが、今ならわかるんだが……。
 妻は付き従うタイプで、何か自分の強い主張があるというのでもない。何を言っても賛成か、少なくとも同意はするものだから、なおさらオレが強く正しくあれねばならんという気になった。
 息子も小さいころは出来がよくって、ときに神童じゃないのかと言われたりも。野球でいい線までいきそうだったんだが、ナリが大きくなってきたころから殻に閉じこもりがちで、何を考えているかわからなくなった。もう三十になるが、いまだに変わっとらん。
 家族がこれじゃ、自分がしっかりしとかねばいかんという気持ちが増すのも、当然といえば当然じゃないですかね」
 誇りを持って臨んでいたお仕事のほうは、学校を卒業されてから一貫してセールス業だったのですね。
「ええ、セールス一筋。楽しかったですよ。百科事典を扱っていたんですが、これを自分の器量と裁量ひとつで、各戸や団体にどんどん売っていく。何がおもしろいって、人に好かれ信用されるほど売れるってところだ。人間力次第ってわけですな。私も若いころはほうぼうで好いてもらって、地域の顔役たちからもよく食事に誘われたものだった。靴底を擦り減らしたり喉を枯らしてセールストークなんてしなくたって、大きい果実を得ていたものです」
 なるほど「セールスの大物」だったわけですね。それが最近は……。
「このところは、たしかに芳しくなかった。いや本当を言えば、年をとってからはずっと芳しくない。体調もどうも優れんし、まったく」
 それでそのまま、揺れる最期の数週間となるですね。ある夜から、意識の流れが乱れ始める。そのときのこと、詳しく振り返ってもらえますか。
「はい、そうですね。
 あの夜家へ帰り着いたのは、もうかなり遅い時間でした。我が家の手狭な駐車スペースに、バックで慎重に車体を滑り込ませた。うちは高度成長期にできた埼玉の山あいのニュータウン、その外れにある。当時の分譲区画は小さくて、家屋も庭もすべてが必要最小限のサイズしかない。
 ヘッドライトを消してエンジンを切ると、辺りは真っ暗闇になった。寝静まった住宅街は、物音のひとつもない。それで初めて、激しい耳鳴りがしているのに気づきました。そういえばさっきからずっと、両のこめかみが破裂しそうに痛い。
 無理もない、ひどく疲れていたから。朝から神奈川の営業エリアを駆けずり回って、そのあと長い時間の運転をしなくちゃならない。齢六十を過ぎた身には辛いものがある。
 目を固く閉じて、首筋を揉みしだく。そのまま寝入りそうだったが、耳のうしろに浮いた脂が指先に触れて不快で意識が戻った。
 私は急ぎ室内灯をつけた。助手席に置いてある使い込んだアタッシェケースを開き、一枚の書類を取り出す。「日次営業報告書」。業務終了後には、これを欠かさず書かねばならない。その日の仕事はその日のうちに完結するのが、セールスの鉄則だ。日をまたげば、顧客の気分なんて変わっちまうのだから。
 売上数と単価、顧客先を記入する欄があり、右手に持ったペンをその上に持っていったが、ペン先は虚空をさまようばかり。今日一日の記憶を懸命に手繰っても、注文書を取り出したシーンは見当たらない。
 そのまま書類の最下部まで視線を動かしていく。「売上総計」の欄があった。ここには何かしらの数字を記入せねばならない。できるだけ何も考えないよう頭を空っぽにして、「0」と一文字、書き付けた。知らず指先に力が入ってしまい、ゼロの字の曲線がほうぼうでガタガタになった。
 書類をアタッシェケースにしまった。業務は完了だ。シートに身をもたせて楽になりたかったが、それでは本当に寝入ってしまいそうになる。気力を振り絞って車から這い出た。左手に持った重いアタッシェケースと靴底を、地面に擦りそうにしながら玄関へたどり着く。
 ドアの前で右手がポケットを探るも、鍵は見当たらない。舌打ちが出てしまう。アタッシェケースを置いて左手でズボンをまさぐり、ようやく鍵を引っ張り出した。
 荷を引っ張り込みドアを閉める。廊下の明かりをつけると、暗い階段の踊り場に妻の凜子が踊り場で立ちすくんでいた。
「今日お戻りでしたの? もう何日か神奈川のほうのはずじゃ……」
 身体に障りでもと心配する妻の声には取り合わず、その場にアタッシェケースを置いてさっさと部屋に入り、ダイニングテーブルに突っ伏した。
 両手で運んできたカバンを丁寧に部屋の隅に置くと、凜子は手早くお茶を淹れた。
 鼻先に置かれた湯呑みから苦い香りが漂ってきて、思わず顔をしかめた。手をつける気にもなれず、起ち上がって戸棚から小ぶりのグラスを出して焼酎をなみなみと注いだ。こぼさぬよう電子レンジに収めスイッチを押す。
「温まりたいんだよ、ただ。さっきも手足がかじかんで、危ない思いをしたんだ」
「やっぱり身体にきてるんじゃない?」
「何でもないと言っとろうっ。ちょっと疲れてるだけだ。……死にそうなんだ」
 危ない思いとは、運転中のことだ。喉が渇いていちど休憩したあと、ハンドルやペダルの操作が乱れた。
「車体が知らず左へ左へと寄るんだ。スピードも出ていて、いつのまにか道のりが進んでる。車にガタがきてるかも知れん」


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