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「完璧の誕生 〜レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿発見顛末〜」 10 《モナ=リザ》のための第三日 〜 出逢い直しは肖像画で

 フィレンツェの名門、メディチ家の血統を継ぐ男。教皇の地位に就きレオ十世を名乗ることとなった兄の傍について、当家とのパイプ役を担う。それが現在のジュリアーノ・デ・メディチの立ち位置である。
 ヴァチカン教皇庁のあるローマでメディチ家の存在感をいっそう高めることが、彼の使命。同家の品格、趣味のよさ、先進的な思想と重厚な伝統……。それらをローマの人々に知らしめる。そうして教皇レオ十世の治世を側面から支え、メディチ家の興隆へとつなげようというのだ。
 メディチの価値を高めるうえでは、優れた技芸家をローマに常駐させて、折に触れ腕を振るわせることも必須。その役割を果たす者として、ジュリアーノが幼少期から交流のある私に白羽の矢を立てたわけである。
 いやありがたいかぎり。ただ、ジュリアーノの腹づもりはそれだけではない。私が携行し続けている肖像画との邂逅を、是が非でも果たしたい……。それが彼の最大の願いである。
 なぜって、かの夫人の肖像とジュリアーノの縁は、ひじょうに深い。いや、そもそもこの絵の発注者は、誰あろう彼なのである枯らして。
 くだんの肖像画のモデルは、フィレンツェの絹商家に嫁いだリザヴェータ。一五〇三年のこと、フィレンツェ中心部に構えた彼らの幸せに満ちた新居へ、私は何度も出向いてスケッチをとったものだ。
 ではリザヴェータと、メディチ家当主の子息たるジュリアーノの関係は? ふたりはともに一四七三年の生まれ。リザはもともと貴族の出である。落ち目の家柄だったゆえリザは商人のもとへ嫁がざるを得なかったが、リザが幼い頃はまだメディチ家と親しく交流を持てる格を保っていた。同年のリザとジュリアーノは、互いの家を行き来してよく遊んでいたそうな。
 政治と金融を生業とするメディチ家の男子たちは、漏れなく理知的で如才ないことを求められる。だが、ジュリアーノは趣が違った。
 朗らかで大らかで、人の声へ耳を傾ける性向が備わっていた。女児リザヴェータは思っていること困っていること、悩んでいることをごく自然に何でもジュリアーノへ打ち明けた。
 ジュリアーノを慕うリザの気持ちは、成長しても変わらない。むしろ想いは募り、彼こそ運命の人と思い定めるようになった。
 優しきジュリアーノも、自分を慕うリザを悪く思うはずはない。互いの想いは着々と育まれた。ふたりが十五歳を迎える年までは。
 別れは突然やってきた。その年、政治的勢力争いの果てにメディチ家は、フィレンツェ市政を追われてしまう。煽りを受けてジュリアーノも、ヴェネツィアへと亡命同然に逃げ延びた。
 以来リザヴェータとジュリアーノはは会えなくなった。残る手段は誰にもばれぬよう、使用人を通じて細々と手紙のやりとりを続けることのみ。
 やがて年頃となったリザヴェータのもとには縁談が舞い込んだ。フィレンツェきっての絹織物商人からの、願ってもない話。家勢が沈滞するリザの周囲がこれを断るはずもない。
 幼馴染みのジュリアーノへ寄せる想い? そんなものはここで一顧だにされない。
 ヴェネツィアで報せを受けたジュリアーノは、亡命同然の我が身の上をただ嘆いた。
 内なる灯は消えていないとはいえ、ふたりは生きる現実を受け止めるより他なかった。
 実際のところ、リザの結婚生活は恵まれたものだった。すぐに子を授かり、フィレンツェ中心街に新居を構え、部屋の壁はリザ夫人の肖像画で飾られる予定となる。
 人伝てに彼女の近況を耳にしたジュリアーノは、一計を案じて密かにリザヴェータへ手紙をしたためた。
 幸せに日々を送っている由、我が事のようにうれしく思う。此度は肖像画のモデルとなる予定もあるとか。ならば、我が最後の願いを。フィレンツェで最も技芸の腕が立つのはレオナルド・ダ・ヴィンチに違いない。肖像画は彼に発注するのがいい、いやぜひそうしてほしい。
 そんな内容だった。
 ジュリアーノは絵を通してでもいい、またひと目でも彼女と邂逅したかった。
 レオナルドとジュリアーノは、古くから知る間柄。つい先般もレオナルドは、わざわざヴェネツィアの住居を訪ねてくれた。彼が彼女の肖像を手がければ、絵が納品される前のタイミングにでも、自分が絵を目にする機会を作れるのでは。ジュリアーノはそう考えた。
 果たしてジュリアーノの目論見通りに事は運んだが、唯一の計算違いはメディチ家再興が思いのほか時間を要した点である。
 ジュリアーノがフィレンツェから亡命同然にヴェネツィアへ移ったのは一四九八年のこと。次に彼がヴェネツィアから脱け出せたのは、ようやく一五一二年になってからだった。
 私がリザヴェータの新居へ出向き、彼女の姿をスケッチしたのは一五〇三年のこと。そこから数えてもすでに十年の月日が経っている。
 よくこれまで我慢し、想いを忘れずにいたものである。ジュリアーノにとっては、待ちに待った絵画との対面のときが今日、いよいよやって来たわけだ。
 メディチ家がフィレンツェどころか全イタリアで権勢を完全に復した今、ジュリアーノは「教皇の弟」というこの上なく強大な地位にいる。現在の彼ならば当のリザヴェータを探し出し、何らかの理由をつけて再会したり、自分のもとへ呼び寄せることだってできてしまうだろう。
 しかし、そういうことではないのだ。いまさらリザヴェータを具体的にどうこうしようというつもりは、おそらく彼にはない。彼女が築き上げてきた人生を崩そうなどとも、つゆ思っていない。
 ジュリアーノはただ、若き日に見たのと同じ可憐な花を、もう一度じっくり眺めたい。長い年月を生きてきたいまの自分の眼に、あの艶やかな花弁の色やかたちはどう映るのか。確認したかっただけなのだろうと、私は推察するのである。
 さてでは、ジュリアーノがこれほど心待ちにしている肖像画をどう飾るべきか。
 ふだんならこの絵は画架にかかり、アトリエの一隅に収まっている。私はいまだしょっちゅうこれを画架ごと引っ張り出して、じっくり眺めたり画面のどこかにほんの少し筆で色を置いたり。または何もせずまたしまい込んだり。日々、手をかけ続けている。
 なぜそんなにチマチマと作業をしているのか。一気に描き上げるか、さもなければどこか物入れの奥にでも入れておけばいいのでは。そう問われたときに返す言葉は用意してある。
 なぜって、これが人ならどうか? 誰しも我が子には毎日毎時、あれこれ手をかけるに決まっている。私にとってはそうした対象がこの肖像画だというに過ぎない。
 私は私のやり方で、この絵を手塩にかけて育ててきた。その日の成果がかたちに見えるかどうかは関係なく、自分の生命の続くかぎり大切なものへの手当てはやめない。これは人のごく当たり前な営みであろう? 
 我が子のごとく手塩にかけてきた絵との出逢いを、ジュリアーノが心待ちにしているのは喜ばしいこと。せっかくならばいい出逢いをしてもらいたい。どこに置いて対面してもらおうか、なかなか思案のしどころである。
 それで午前中のほとんどの時間を費やして、屋敷の中をうろつき回った。オーソドックスに応接室か、親密に対面できる食堂かはたまた書斎でも……。
 考え続けた末、結局はいつも通りアトリエがよかろうと決めた。
 ここのアトリエは何といっても光の具合がいい。北向きの窓から柔らかい光が差し込んで、室内を隈なく照らす。
 窓からの光がよく回る西側の壁近くに、私は画架を据えた。
 そうして絵と真正面に向かい合う位置に、天鵞絨で覆われた椅子を一脚設えてもらった。ジュリアーノにはここへ座ってもらう。
 もうひとつ私の椅子は、絵とジュリアーノの椅子の双方から等距離の位置へ。つまり絵とジュリアーノと私が正三角形を成すよう、家の者に配してもらった。
 準備万端となったいま、時刻は正午を過ぎた。私はジュリアーノのために置いた椅子の背に両手を置き、肖像画をしばし眺める。
 ああ、いい光だ。もう一刻も経てば、あのときとほぼ同じ光量と角度になる。
 あのときとは無論、この肖像画を描いた午後のこと。フィレンツェ大聖堂すぐそばの真新しい住居で、この絵のモデルとなったリザヴェータをスケッチしたときも、北向きの窓から淡い光がたっぷり降り注いでいた。拡散された光が、室内をよく回っていた。
 あれはもう十年の昔になるか。
 レオナルドの心持ちは懐かしさに浸った。だが心内のほんの一ヶ所だけ、幾重に蝋でも塗り込んだごとく何物の浸透も頑なに受け付けぬ部分がある。甘い思い出に浸り切らぬ箇所は、こんな内なる声を発していた。
 十年の月日を費やしてレオナルド、さてお前は画業にどれだけの成果を挙げられたのか? その答えがこの肖像画であるか?
 そうだ、心の声の言いたいことはよくわかる。要はこの絵を完成させねば、お前の心は完全には晴れぬぞと釘を刺しているのだ。
 たしかに悩ましいところであるのだった。この絵はもともと、さっと完成させて自分に自信をつけようと目論んでいたもの。こんなに長いあいだ、手元に置き続けるとは思ってもいなかったのだ。
 この肖像画の注文が入った当初は、景気のいい絹商人からの条件のいい仕事であることに、ただ単純に喜んだ。あちらこちらの教会やら名家から頼まれた絵画を、ことごとく完成させられず投げ出してしまっていた私が、口さがない連中に「完成できたためしのない画家」呼ばわりされていた頃でもあったから。いや、いまも世評は大して変わっていないだろうが。
 私とて汚名を返上したかったし、弟子たちを養っていくのに身入りも必要だった。降って湧いた肖像画の仕事、さらり片付けてやろうと思った。
 それには、あまり入れ込まないことだ。絵の世界に夢中になり過ぎると、また完成させられなかったりする。
 そう心に決めて現場へ赴き仕事にかかったが、決心は早々に揺らいだわけだ。
 たしかにモデルとなった女性リザヴェータは美しかった。じっくり描き込むに足る容貌だと言えた。だがそれだけじゃない。何らかの覚悟のほどが彼女の表情からは窺えたし、いい意味で心ここにあらずだった。ここにはない、見えない何かを視界に捉えようと必死な眼をしていた。その深い瞳の色に惹き込まれた。
 描かれながら彼女はすぐに白状した。
 レオナルド、あなたに描いていただくことになったいきさつには、かのジュリアーノ・デ・メディチが深く関わっているのです、と。
 あのときリザヴェータは新居の窓際に佇みモデルを務めながら、事の次第をすっかり語ってくれたものだ。
 わたくしとジュリアーノはもともと同い年の幼馴染み。十代になると、ごく自然に互いを異性として意識し始めました。
 どこに惹かれたのかって……。たとえば、あの人は自身の身分や立場には我れ関せず。眼で見たまま、肌で感じたままを信じます。立場にそぐわぬ気ままな性向とふるまいは好もしかった。
 十五歳でジュリアーノが亡命同然にヴェネツィアへ流れてしまっても、その後わたくしがジョコンド家へ嫁いでも、細々ながら便りは絶えませんでした。これは内密の話ですけれど。
 方法ですか? それぞれに気の利く使用人を持っていさえすれば、秘密の文をやりとりするくらいは容易いことですよ。
 先般、久方ぶりにジュリアーノからの便りがありました。「肖像を描く由、ならばぜひレオナルドに」と強く所望なさっていた。
 あの人の計画ごとなら愉しいものに違いない。そう思って読み進めると案の定。旧知のレオナルドから、のちに自分は何とかして肖像画を見せてもらうようにするから……とのこと。
 なるほど、絵を介して私たちは再会するわけね! 
 意図をしかと理解したわたくしは、
「レオナルド・ダ・ヴィンチ……。女性を描くなら彼に限ると、フィレンツェ中の評判ですわ」
 と夫に話しただけ。するとレオナルド、あなたが今日こうしてやって来てくれましたよ。
 ……と、顛末を白状するリザヴェータの表情は晴れやかだった。
 遠いヴェネツィアにいるジュリアーノの姿が、彼女にはたしかに見えているようだった。
 そんな彼女の瑞々しい瞳を、素直に美しいと思った。
 見えないものを見ようとするとき、人の瞳は独特の色合いに輝く。想像力を目一杯に駆動させるからか、全身から「生」が横溢する感もある。
 リザヴェータの様子をこと細かに観察していた私は、彼女が放散するものの強さにすぐ気づいた。虚心坦懐にものを見ること、すなわち観察の効用はかくも大きいのだ。私は観察の重要性を以前から言い続けてきた者だが、他の技芸家にはこれがなかなか響かない。彼らは外界からではなく聖書と神話からしか学ばず、そこに書いてあることを忠実になぞるのにいまだ汲々としている。
 もっと自然を見よ。観察せよ。汝の目の前で、驚異と奇跡は刻々と生じているのだ。
 いくらそう唱えても、誰も振り向いてくれた試しはない……。
 ならばこの肖像で、私のやり方の正しさを思い知らせてやろう。
 徹底的に外界つまりモデルを観察し、そののち平面に完璧なる写しをつくる。そうすれば生き生きとした表情や、人が放散する生きる歓びのエネルギーのようなものが絵画上に掬い取れるはず。
「観察」と「写実」を武器にして、絵画という平面に生命を宿す……。誰も成し遂げていないそんな営為に、この肖像画の制作を通して私は到達してやろう。
 あのときそう考えて、私の身体は内側から熱を帯びたものだった。自身の生命の灯がまずはともった。以来その灯を絶やさぬようするためにも、この肖像画はいつも私の手元にあった。
《モナ=リザ》を描き続けることで、私は「絵を描くとは?」という問いを突き詰めてきたつもりだ。
 私が得た答えらしきものはこうだ。
 生命がここに在る! という感覚。それを表すこと。他の技芸家はいざ知らず、少なくとも私にとって絵を描くとはそういうものである。
 生命感とでも呼ぶべきものを絵に留められれば、「私の生み出した生命」を後世にまで伝えていける。
 それはなんてすてきなことか。
 絵の中に、この世ならぬ世を在らしめる。それはもはや世界の創造であろう。
 人間の分際でそんなことに憧れたり思いを馳せるのは、キリスト教徒としてご法度やもしれぬ。いくら跳ねっ返りの私とてそれは承知。しかし絵画という技芸を突き詰めると、人間を創り出すという神のような業が手の届くものとなる。
 この思念は私の気持ちを盛り立てた。とりわけ家庭を築かず子息も設けておらぬ私には、そのあたりの問題は切実に迫るのだ。
 そういえば以前もこんなことがあった。まだフィレンツェにいて、師匠ヴェロッキオの工房から独り立ちしたばかりの若き頃。私は機を見ては街の支配者たるメディチ家へ出入りした。
 工房時代はお使いでしばしば顔を出していたゆえ、つながりを絶やさず仕事を増やそうとの魂胆だ。
 若き私は頭の回転が悪くなかった。気持ちを切り替えさえすれば軽口や冗句はお手のもので、邸内での婦女子からの人気は高かったものだ。
 姿を見つかると、所望されてよく動物やら誰彼の似顔絵を描いて差し上げた。戯れに即興で絵を描き始めると、メディチ家の女性と子どもたちがわっと群がった。
 筆を動かし、誰彼となく特長を捉えてあっという間に似絵を描いてやる。と、
「なんでそんなに、まるで生きているように描けるのです?」
 そんな素朴な質問が飛んでくる。
「それはいつだって皆さんの顔を、気づかれぬよう盗み見しておりますからね。
 あと、すこしでも似せて描けるよう人体の構造なんかも日々細かく勉強しております。
 ときによく噂に上るでしょう、どこそこで公開解剖が行なわれたという話が。あまり大っぴらには言えませんが、私は毎度あれにも参加しております。それはそれはすごい光景ですよ。解剖にも順序がありまして、まずは死体の腹を刃でタテにかっ捌く! そうして次に心の臓を……」
 適度に露悪的なことを口にすると、きゃあきゃあと子どもたちが騒ぎ立てるのが毎度のパターンだった。
「そこまでして本物そっくりに描きたくなるものですか?」
 子どもたちを見やりながら、誰かの母親がレオナルドに問うた。
「ええ、生きたものを生きたまま画面に捉えるのが、画家の夢でございます」
「ああ、生命をつくりたいのね。じゃ、子どもを産み育てるのと同じってこと」
 この母親の返しには、ハッとさせられた。
 言外にわずかな非難めいた響きも感じ取れた。彼女はこう思ったに違いない。
 わざわざご苦労なこと。そんな苦労して絵の中に生命を吹き込むなんてややこしいことする間に、家庭をおつくりになってはいかが? 子宝という新しい生命を、すぐいくつもつくれますわよ。同時に生命をつくり養っていくのは、夢とか美だとか生易しいものじゃない……。そんなことも嫌が応にも骨身に沁みてわかってしまうでしょうけれどもね。
 痛いところをつかれたからか、この言はいまだはっきりと覚えている。
 薄々は感じていたのだ。自分のしていることが筋違いの、取るに足らぬことだとは。
 絵に生命を宿す! 
 その心意気はけっこうだが、それはあくまでも、
「のようなもの」
 に過ぎぬ。もし成功したとしても、その生命は所詮どこまでいってもつくりものだ。
 それに比べて、世の女性たちときたら。
 赤子を産み、子を育て、生命を次代へ渡していっているではないか。脈々と、リアルに生命をつないでいる。
 男は産むことができないからしかたない? だったら産まれてからちょっとは主体的に子育てを担いなさいよ。それすらもせず芸術だ科学技術だと、精神で生命を生み出すなんて言葉だけのお題目よ。ただの道楽よね。薄っぺらいわ。
 そうあしらわれて、おしまいであろう。
 私の場合、事情はいっそう切ないというか絶望的になる。
 家庭を営み子を持つ望みなどないのだから。
 私が愛したいのはもっぱら男性で、これまで女性と交わったことのない身体である。自分の子を持つことなど叶わぬ。
 自分の性向によって現実には子がないから、絵画に子を宿そうとするとは、都合のいい代替行為に過ぎぬ。そう言われれば、返す言葉もない。
 しかし、それでも……。
 神ではないのだから、完璧な人間などどこにもおらず、すべてを手にして産まれてくる人がどこにもいないのもまた真実。皇帝だろうと王者だろうと、どんな賢人でもそれは同じ。あらかじめ欠けたものを、生あるかぎり補おうとするのもまた人間の営みだろう。
 私もまた、自分に欠けた破片を、描くことで取り戻そうとしている。すこしでも完璧へと近づくために。それは、いけないことだろうか? 男色者が生命を希求してはならぬ法でもあるのか!
 それに、だ。生殖以外で生命を生み出せるとしたら、画期的発明である。絵描きは人に新しい機能をもたらす存在となれるやもしれぬ。
 となれば、それはほとんど魔女か錬金術師の業に等しい。この肖像画が生命を宿すのに成功した暁には、あまり大っぴらに人には言わぬがいい。絵描きは人間を創造するとわかれば、魔女狩りならぬ画家狩りすら勃発しかねない。
「なるほど画家狩り……、それは物騒だ。じゃこの出来栄えは内密にしておこう」
 背後から愉快そうな声が聞こえて驚いた。
 戸口に、待ち人たるジュリアーノ・デ・メディチが立っていた。
 いつからそうしていたのか。とっさに声の出ない私に、ジュリアーノが歩み寄る。抱擁を交わすのは十年ぶりか。
 齢のせいか肉が落ちて、ずいぶん骨張ったな……。そんな感慨が互いの脳裏におそらくほぼ同時に浮かんだのは、背中を叩き合った瞬間同時に少し眼を見開いたことから知れた。
 ようこそ……。と言ってしまってから、それも妙だと気づいた。そもそもここにあるすべてのものと状況は、ジュリアーノが手立てしてくれたのだから。
 こんな夢のような生活を丸ごと提供してくれた礼を述べようとするも、ジュリアーノはまったく取り合わず言葉を被せた。
「それよりも、だ。絵の中に生命の火を灯すという宿願に、あなたは他ならぬこの肖像画を描くことで手が届きそうになっているということか? もしそうなら、画家狩りへの心配はさておき万々歳じゃないか! 僕にとっても、あなたにとっても」
 絵のモデルとなったリザヴェータの生き写しが欲しいジュリアーノ。絵画の道を究めたい私。肖像画の出来がよければよいほど、ふたりの幸せは同じように増すという論法だ。
 教皇の弟君という身分にそぐわぬジュリアーノの率直な物言いにつられ、こちらもつい軽やかな気持ちになって肯定の意を示した。


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