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「場面転換」こそ、おもしろさのキモだ。


場面転換をどうするか。その創意が作品のおもしろさを左右すると思える。ジャンルを超えてその理由と実例をみてみたい。


小説における場面転換は、基本的に連想でつながっていく。前の場面と、なんらかのかかわりを持ちながら、次の場面へと入っていくわけだ。
連想の種類には「近接」と「類似」の二つがある。
近接関係とは、近いもので連想をつなげていくこと。物理空間的に近いものと、観念的に近いものがある。
類似関係とは、似たものに連想を広げていくこと。音が似ている類音と、形が似ている類型が考えられる。類似で連想をつないでいくのは、詩の得意なパターンである。

「ぼくは朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、学校へ出かけました」と「そして」「そして」でつながっていくいわゆる子どもの作文、あれは時間と空間の近いものをつないでいく「近接」一辺倒のやり方。
それだと単調になるので、類似を混ぜていきたいところ。
類似は日本文化の得意技でもある。和歌では類音による掛詞などが盛んに用いられるし、茶の湯や枯山水の庭は「見立て」という名の類型を活用している。

●では類似による場面転換の鮮やかな例を、夏目漱石『行人』から引こう。

「自分は母に叱られながら、ぽたぽた雫を垂らして、三人と共に宿に帰った。どどんどどんという波の音が、帰り道中自分の鼓膜に響いた。

 その晩自分は母と一所に真白な蚊帳の中に寝た。普通の麻より遥に薄く出来ているので、風が来て綺麗なレースを弄ぶ様が涼しそうに見えた。」

一行あけたところで章が変わり場面が転換する。主人公の「自分」は帰り道、波のイメージが頭の中にこびりついている。その晩見たものは、蚊帳のレースが風に揺れて波打つさま。波のような形や動作を継続させて、快くつながりのある場面転換を実現している。

●映画からも、類似による場面転換の例を。「2001年宇宙の旅」の冒頭だ。
「人類の夜明け」と題されたパートでこの長い映画は始まる。原始の時代、ヒトのある個体がたまたま動物の骨を手にして、これを道具として使うことを思いついた。
その個体が属する集団は、武器として各々が骨を持つようになる。道具の威力によって彼らは、他のグループと水場争いをしたときにも圧勝する。道具の利用によるヒトの目覚め。
勝ち名乗りをあげるようにして、あるヒトが骨を宙空に放り投げた。舞い上がった骨は回転しながら、同形の宇宙船へと変化する。そのまま場面は2001年、宇宙空間での出来事へと転換していく。
何万年の時間と何十万キロの距離を軽々と超えるのに用いられているのは、「類似」による連想だった。

●もうひとつ映画の例を。ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』。
こちらはラストシーン。崖から落ちそうになっているヒロインを、主人公の男が片腕で引き上げようとする。引き上げたと思った瞬間、その手は寝台列車の上段のベッドへ、下段にいたヒロインを招き寄せようとするものに変化している。「我が妻よ」と言いながら。危機の状態から一瞬にして場面は転換して、ふたりはすでに甘い雰囲気になって列車で帰る途上。
ベッドの上でふたりはキス。そのまま列車がトンネルへ入っていくさまが映し出される。その動きは、ベッドの中で次に起こる性行為を、類似によって示唆している。
この間、わずか15秒。ハッピーエンドをこんなに短時間で描き切ってしまえるとは。連想をフル活用した場面転換による、驚くべき効果のほどを見よ。

●音楽も同じ原理がよく使われる。19世紀にスメタナが作った交響詩「モルダウ」もそう。
いまだ日本でもよく耳にするほどポピュラーな曲になっているのは、耳にすれば情景がありありと浮かんでくるからだろう。実際聴いているとモルダウ河を豪華な船か何かに乗って悠々とくだっていく気分になる。両岸ではいろんな出来事が起こる。狩りをする人を見かけたり、結婚式のパーティに遭遇したり。船が進むごと見えてくるあれこれをみごと音に置き換えて場面転換していくのだけど、それらをなめらかにつないでいるのは、同じ調子で延々と繰り返されていく低音部。それが、たゆまず流れる河の水の存在を表している。
類音と類型を兼ねた低音部が、曲の各場面をがっしりとつないでいる。


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