
「セールスマンの死」4 20211002
父の死相と対面した記憶をたぐっているあいだも、総武快速線は規則正しく揺れて私を運んだ。いつしか車内は空き、アナウンスが終点到着を告げた。そうだ、さっきの着信の確認をしないと。
ホームに降り立ち、ベンチに腰掛けスマホを開く。やはり母親からだった。留守電にメッセージが入っている。
「あぁ……、出ない! いないの、ちょっ!」
とだけ聞き取れた。明らかに息をうまく吸えていない妙な発声と、発狂したてを思わせる取り乱し方から、何が起きたかすぐ察せられた。
口調が不快で、スマホを耳から引き剥がした。顔を上げると、人群れがわれさきに改札口へと競歩している。
父は死んだが、世界は変わらず忙しい。何の乱れも矛盾も生じちゃいない。
それはそうだ。人ひとり消えたとて、この世はいちいち揺らがない。
まして父など取るに足らぬ男だった。駅を行き交う誰ひとり父のことを知らないし、さっき地上から消えたことにも気づかない。
となると、いったい何だったのか。あの人の生きた八十二年とは。
身内が気持ちを向けないかぎり、存在の意味も事実も瞬時に消える。そんな程度の儚い現象に過ぎなかったのだ。
ならばすこしくらい、息子として父の存在証明をしてやりたいが……。問題は、自分の中にうまく心の揺れが生じるかどうか。
おれ、泣けるのかな。
真っ先にそれが気になった。
何にせよ今晩手早く準備して、明日には新幹線に乗り葬儀へ向かわなければ。ただ夏になれば、出演する舞台の幕が否応なく開く。梅雨明けは間近だ。今宵も雲の切れ目から半月が覗いている。稽古に穴を開けるのは避けたい、何日ほどなら許されるだろう?
実際的な算段で、心と頭が埋まりはじめた。自分が涙を流す心持ちになるなんて、どんどん想像もつかぬようになっていく。