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月夜千冊  四夜『詩学』 アリストテレス


 アリストテレスが指す「詩」とはおもに悲劇のことだけれど、いまでいえば詩や小説をはじめ文学全般がその範疇に入ると考えてよさそう。

 ギリシア悲劇の全体を支配しているのはいつも、神や運命といった大いなる力で、そのあたりが前面に出てくると「ああ、遠い古代の話だよね」、ちょっと距離を感じたりする。

 ただ、アリストテレスの場合は悲劇を分析していく際に、神や運命をあまり持ち出さなくて、

「悲劇とは、一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為、の再現」

 などと説く。つまり、文学表現は人間の行為を再現したものだ、というところを強調している。神や運命の存在は動かしがたくあるとはいえ、その軛のなかで人間は何ができるか。そこに着目する。

 紀元前の時代にあって、人間の自由を徹底的に考え、希求するこの精神。アリストテレスって、当時はかなり過激に映ったんじゃないか。そのあたりが、二十一世紀のいまにいたるまで読み継がれるゆえんなんだろう。

 アリストテレスはさらに、悲劇とは、

「おそれとあわれみを引き起こす出来事の再現」

 とも言っていて、これは感情を衝き動かすような出来事をこそ、表現によって再現すべきだということ。先の引用と合わせてみれば、こうなる。

 文学で書くべきは、人間の行為と、それに伴い巻き起こる感情の揺れであると。いつの時代も変わらぬ公式に思える。

 連想するのは、文人・夏目漱石の出発点となった『文学論』。冒頭で漱石は、文学的内容の形式を定義する。

「凡そ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに附着する情緒を意味す」

 似たことを言っているなと感じる。

 人が動く。何らかの印象や観念を外界から受け取る。と、情が湧き揺れる。そのさまを、文章によって表し、再現する。読む側はそれを享受して味わう。これまでもこれからも、人は同じことをして楽しむんだな。

 その際の器が紙の本だろうと電子媒体だろうと、そんなことはどうだってかまわない。


『詩学   詩論』

アリストテレース   ホラーティウス  松本仁助・岡道男訳

岩波文庫


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