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月夜千冊 第七夜          『ファーストアルバム』川島小鳥

 現実の暮らしを営んでいくには、できるだけ現実的であるほうが何かと有利でやりやすい。自分の内側に大きな世界を築いている夢見がちな人にとって、この世はなかなか住みにくい。

 川島小鳥は、明らかに夢見がちな人。写真家としてたしかな仕事を幅広く手がけているとはいえ、本人の周りにはいつも、ふわふわとした空気が漂っている。高い声で話す内容はときに突拍子もなく、問われたこととかみ合っていなかったりすることもしばしば。いつも遠いところを見ている感があって、傍で大声で話しかけられてようやく現実のいま・ここに戻ってくるようなところがある。

 そんな川島小鳥が、ものをつくる人でよかった。自身がファンタジーと呼ぶ、内面で強固に築かれた世界を、彼は展示空間や写真集のなかで存分に展開してきた。浮世離れした作品世界は、観る側にとってたいへん新鮮なものだし、本人にとっても作品づくりは、内面と外界をつなぎ留めるものとして大きな役割を果たしている。つくることは川島小鳥にとって、かなり切実なことなんじゃないか。

 写真家として活動してきたここ15年ほどの作品を一冊にまとめたのが『ファーストアルバム』。女の子を被写体にしたものが中心で、15年前に撮影されたものも、ごく最近の写真も、雰囲気がほぼ変わらないのが不思議。どの写真も、周囲の環境と人物がみごとに馴染み溶け合っているのも目を惹く。撮り手の側の「見たいもの」「残したい絵」がよほどはっきりしているのだろうと想像する。

「イメージを撮りたい」と話す川島小鳥は、キャリアの初期のころから、時代を感じさせるものは極力画面に入れないよう心がけてきた。どの時期の作品も変わらないのは、そんなところにも要因がありそう。

 それにしても、被写体となった彼女たちの表情のよさといったらない。こんな顔を、よくぞカメラの前で見せてくれるもの。どうやって引き出しているのか。

「撮っているとき、かわいい、とは思っていない」

 と川島小鳥は言う。かわいい、というのは、なんだか相手を少し下に見ている気がするという。被写体に抱いているのはもっと、尊敬とかあこがれといった言葉に近い感情だ。

 それに。写真とは世界を切り取っていくもの。これは何をしているのかと考えてみるに、写すものを肯定しているんだと思い至ったのだそう。被写体も、その人がいる世界も肯定していって、肯定感に満ちた破片をどんどん集めていく。それが写真を撮るということなのだと川島小鳥は考えている。

 肯定のかたまり。『ファーストアルバム』のあらゆるページが、やたらきらきらしているのはきっとそこに理由がある。


『ファーストアルバム』

川島小鳥

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