大森克己『心眼 柳家権太楼』 〜トタン屋根書店で見つけた本〜
ポートレートの極北を体験してみますか? と店主が棚から取り出してきたのは、大森克己撮影の写真集『心眼 柳家権太楼』だった。
白いホリゾントの中央に、座布団がぽつりと置かれている。和装の男性が入ってきて座り、お辞儀を済ますと、おもむろにころころと表情を変えていく。右を向いたり左を向いたり、ときに手拭いや扇子を掲げるなどして忙しげである。しばしひとりで何か演じたあと、一礼して場を去っていく。
そう、落語ですよ。一席が始まり終わるまでを撮影し、その様子だけで編まれたのがこの写真集となります。
映画や芝居に比べ、落語は舞台の見栄えが地味なことこの上ないものです。演者は正座を崩さないし、背景が切り替わるわけでもない。それを撮るだけで一冊分の内容になどなるものかとふつうは思う。
いやいやどうして、まったく飽かずページを繰っていけるから不思議だ。
書名にある通り、被写体になっている落語家は名人・柳家権太楼で、演目は古典落語の名作『心眼』です。落語ファンにはたまらない組み合わせ。だからといって安易に「写真から口演の音が聴こえてくる」などとはさすがに言いません。ただ、人の姿かたちというのはなんておもしろいものか……と改めて感じ入ってしまうのはたしかです。
場面ごとに演者の背筋は伸び縮みし、手指は自在に動きます。短く刈り上げた頭髪の下でぎょろぎょろ動く両の目は雄弁そのもので、口元は別個の生きものみたいに生々しく動き続ける。茶色の衣装に入る皺が刻々とかたちを変え、青い半襟は宙を舞う一羽の蝶のよう。
落語は一義的には話芸とされるけれど、言葉以外に身体で伝えている何かも思いのほか大きいことに、改めて気づかされますね。落語家が言葉以外で伝えている何かを、写真で捕まえようとする気概と目のつけどころ、それをやり切ってしまう実行力にも圧倒され放しになる快作です。