月夜千冊     1. 『よあけ』


山の奥の湖のほとりで、夜が明ける。

タイトルのとおり、ただそれだけのことが描かれる。

絵本だからもちろん、絵と、すこしの文章でできている。

絵本にしろ漫画でも、絵と文がうまくなじんでいることって、なかなかない。

たいていは絵か文、どちらかが主導権を握って、作品を引っぱっている。

『よあけ』はその点、みごとなバランス。絵と文がいずれも独立した表現としてありながら、溶けあい、引き立てあっている。

ごくシンプルな線とわずかな同系色でできた絵は、

「ああ、絵ってそういえば、紙のうえのシミにすぎないんだ」

と、改めておもわせる。

けれどそのシミが、じっと見ていると稜線になり湖面へと化け、息を吸い込んだ鼻腔が痛くなるような、凛とした夜気まで喚起する。

ページを繰って絵に見入っていると、下部に文が載っているのに気づく。

絵に気を取られているから、周辺視で文字を追う。

字面が美しい。絵と同じくらいに。

言葉の意味を追うともなく追えば、絵の見どころを端的におしえてくれている。たとえば、

「つきが いわにてり、ときに このはをきらめかす。」

と書かれたページには、柔らかい月明かりが、湖の汀の岩や、木群れの端をそっと照らし輝かせた様子が描かれる。言葉を咀嚼して、も一度、絵に目を移せば、さっきとは違った見方ができておもしろい。

この一冊の物語はほんとうに、暗く静まり返っていた湖畔が、朝になって生気を宿すまでを追う、ただそれだけ。

なのに、壮大なストーリーに触れた感覚があって不思議。

そう、地上で繰り返されてきた、大いなる光の物語がそこに再現されているのだ。

ああ、すべては光だなとおもう。

光がなければ人は、何も認識できないし、そもそも生命を営めない。

夜のうちは、太陽光の反射であるところの、ほのかな月明かりがまずはある。

世が明けて太陽が出る。それはなんという僥倖なのだろう。

生きとし生けるものが動き出し、もののかたちが明瞭になり、とうとう見渡すかぎりが、色に彩られていく。

この話を頭に焼き付けて、毎朝、起きるたびに反芻できたら、理想的な一日を、毎日を送れるはず。

諸般の都合で、なかなかそううまくもいかないのだけれど。




よあけ

ユリー・シュルヴィッツ 作・画

瀬田貞二 訳

福音館書店

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