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大宮エリーが 聖地を 「スマホ」で「写真」にした理由

「描くひと」としてペインティングをものするイメージが強いのが大宮エリーさんなのだけど、写真作品も意想外に多い。
2021年には二冊の写真作品集を刊行している。
自身の転機とするべく訪れた、米国シャスタの地で撮影した『SHASTA』。それに、自らの心のチャージに訪れた諏訪大社や洞爺湖の写真を並べた『SACRED SPACE』だ。

それぞれ撮影場所も時期もまったく異なるけれど、どちらも聖地を被写体にしているのは同じ。なぜ聖地写真を撮り、まとめることにしたのか? 聖地写真は見ているだけで細胞が活性化される感覚があって撮るのも見せるのも好きと本人は述懐しているが、写真集にまとめるにあたっては、具体的なきっかけがあったという。

あるとき大宮が沖縄でシャーマンに会うと、聖地の写真をいっぱい撮ってるだろうと言い当てられ、それをシェアせよ、自身の役割を果たせと諭されたのだ。
大宮エリーのまわりには、そうした奇想天外な話がゴロゴロしている。ストーリーを招き寄せる体質なんだろうか。

ともあれ沖縄のシャーマンのおかげで、ぼくらは大宮作品をまとめて観ることができることとなった。
『SHASTA』に収められているのは、2012年に米国内陸部のシャスタ山とその一帯を訪れたときの写真。辺りはネイティブアメリカンの聖地とされている。
ビビッドな色合いの草花に、清らかな水の流れ、からりと晴れ渡った青空に白い山肌を見せる山嶺。どの写真を眺めていても深呼吸したくなる。山中に突如として露出する巨大な黒曜石の威容も目を惹く。たしかに何か「常ならぬもの」がここに写り込んでいる気がしてくる。

『SACRED SPACE』のほうにも、清冽な写真が並ぶ。ページを繰るとまず目に飛び込むのは、諏訪大社の御柱を見上げるアングルで迫力たっぷりに撮った写真。御柱とは、結界をつくるようにして神聖な場の四隅に立てる樹齢150年超のモミの丸太で、7年に1度の祭りの際にはこの柱を運ぶ行事がハイライトとなる。
写真を通して眺めても、それら堂々たる木材が、ただならぬ気配を秘めているのは感じ取れる。
他には、北海道・洞爺湖の湖面が光に照らされ刻々と表情を変えていく様子の写真が、御柱の写真に挟み込まれるようにして収載してある。
洞爺湖も古くからアイヌの人々の聖地とされてきた場。澄んだ湖面はそこを眺める人の心持ちをそのまま反射するかのようだ。周囲の森も含めた景色は雄大そのもので、「ここには龍が住んでいるよ」と耳元で囁かれれば、そのまま信じてしまいそう。

驚くべきは、2冊の写真集に収まっているすべての写真が、スマホで撮影されているということ。
そもそも現地にスマホしか持っていってないので、他に撮りようもなかったと大宮は言う。
写真を見ていると、スマホで正解なんじゃないかとの気もしてくる。大きいカメラを構えたりしていたら、その場の空気感や、ひょっとするとそこに漂っているのかもしれない精霊みたいな存在が、逃げてしまいそうだ。その場にあるすべてを損なわず丸ごと撮るには、スマホがちょうどよさそうだ。

ここでひとつ疑問に思うのは、まずもって「絵を描く人」であろう大宮エリーさんが、なぜ聖地での体験を絵ではなく写真によって作品化したのかということ。
 先に述べたとおりシャーマンに言われたからというのもあるが、さらには写真の「直接的な力」を利用したかったというのもあったそう。

大宮さんにとって掲載した写真群は、写真というより「窓」と感じられるのだという。
眺めていると、この窓を通して、写っている場所と直接つながれるような感覚があるとのことだ。写真によってブリッジがかかって覗き込むと向こうの世界を体感できるというか、時空を超えて「写真が撮られたそのときと場所」につながれるというか。
すべてが自分の想像の産物である絵画とは違って、実在の場所を撮る写真だからこそ直接つながる感覚が強く得られるのだ。絵画と写真の、リアルさの質の違いを、大宮さんはここでうまく利用しようとしている。

たしかに『SHASTA』や『SACRED SPACE』を手元に置いて、折に触れてページを開くと、瞬時に聖地の空気が漂い出し、「聖地が家にやってくる」ような感覚をいつでも味わえて愉しい。
時空を超えてその場に行けるような、直接的な感じ。これは現実を切り取ってくる写真の根源的な力のひとつだろう。
思えば大宮エリーさんの表現は、どんなメディアを使うときでも、思いを真っ直ぐ届けてくれるのが特長だ。二冊の写真作品集でも、彼女の本領が存分に発揮されているということになる。


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