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「セールスマンの死」17   20211015

 そうだった。ここで暮らしていたころは他に交通手段などないから、マイカーであの角を右に折れて初めてどこかへ行くことができた。
 あのカーブが外の世界へとつながる唯一の扉だった。そして車を運転するのはいつも父だった。私に世界を開いて見せてくれたのは父親だ。

 外界に出る唯一の乗りものたるマイカーは、かなり年季が入っていた。ダッシュボードからはいつも嫌なにおいが漂い出た。そのにおいと、角を右折するときの遠心力で三半規管が揺さぶられるせいで、私は乗れば決まって車酔いした。
 でも我慢した。平気なふりをした。外の世界への渇望のほうが、酔いの苦しさを上回っていたから。

 いろんなところへ向けて車は走ったものだった。
 夏休みの自由研究に必要な竹ヒゴやバルサ材などを買いたいからと、ホームセンターへはよく連れて行ってもらった。棚にある妙な工具に眺め入り、おもむろに買い物カゴへ放り込む父の姿が、豪気ですこし誇らしく思えたりもした。本当は要らないものばかり後先なく買い込んでいただけで、それらは使われた形跡もなく道具箱にしまわれていることがままあったのだけど。

 父がまだボーナスを手にできていたころには、年末が近くなるとステーキのあさくまへ向かった。子どもはハンバーグが好きなんだろうとステーキは一度も注文させてもらえなかったけれど、サラダ・スープ・ごはんまでつくセットメニューにはしてくれた。あさくまへ向かう日は、角を曲がるときにはもうコーンスープの香りが鼻腔をついて口中が唾液でいっぱいになった。

 小学低学年までは毎年、海にも行った。一泊するのはうちよりボロいかもしれない国民宿舎ではあったがかまわない。潮の生臭さとダッシュボードのにおいの組み合わせは最悪だった。でも海が取り消しになったら困るので、いくら気分が悪くてもひた隠しにした。

 父の唯一の趣味というか息抜き程度の娯楽は、釣りだった。私もたまに同行した。手頃な池に糸を垂らす程度のもの。元来無口で話すタネもとくに持たない父だから、いつもただ黙りこくって浮きを見つめ続けるだけだ。
 まるで苦行で、行けば二分で後悔するのに、声がかかればつい「行く」と答えてしまう。車に乗り込み角を右折して、遠心力で道具が揺れて練り餌のにおいが漏れ出すと、ああやめておけばよかったと気づくのだった。

 思うに父はかなり無理をして、ふつうの暮らしぶりを息子にひと通り味わわせようとしていたんじゃないのか。
 背伸びし過ぎだから、どうしても至らない部分が出たりどこか歪んでいたりもしたけれど、いまとなってはそんなことはかまわない。

「一人前の家族」「一人前の父親」を演じるのと引き換えに、父自身の人生はいっそう言い訳だらけ、我慢だらけのものになっていったのかもしれない。父の「一人前」の演じ方はそれにしても、ずいぶん下手で不恰好だった。どこまでも不器用で要領が悪く、本人の切望と裏腹にあれじゃ人に好かれやしない。

 まあ他人の眼はこの際どうでもいいか。どうしようもない父はすくなくとも、悪い人じゃなかった。それだけはたしかに言える。
 そんな人のもとで育ち、家族として過ごした。それはありがたかった。これ以上とくに望むことなんてないな。

 そう思っていると、自分の眸に映る住宅街のかたちが、ぼんやりとなって崩れてきた。凪いで鏡のようだった湖面に風が吹いて水が大きく動き、面に写る影が乱れてしまうみたいに。睫毛のあいだに溜まったものが溢れて頬を濡らした。

 堪らず私は瞼を下ろした。暗がりになって世界が消えた。思えば棺の中の父の視界も、これと同じように真っ暗なわけだ。あの曲がり角の光景などもう見られない父は、あとはひたすらこれまでの思い出を反芻していくことになるのか。
 その繰り返される記憶の中に、私の姿がいつもあればいい。そう切に願った。

 眼を開けると霊柩車はもうあの角を曲がり切っていて、本来のルートに復すところ。火葬場へ到着する時間の遅れは、ほんの数分で済みそうだった。

(了)


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